大学生になった頃、世はバブルの真っ盛り。高級な鮨屋さんでバイトしていましたが、毎日閉店までずっと満席。すごい時代だった。
(TBSテレビHPより)
田舎町から上京した大学生たちは、似合わぬ格好キメこんで競って芝浦とやらへ繰り出してみたり、そんな時代も過ごしてきました。内定者を拘束する旅行や接待などバブル期の就職活動を描いた「就職戦線異状なし」なんて映画もあったっけ。実際、私の大学の先輩世代では、旅行や食事は当たり前、ほかにはスーツの支給や、ある会社などは車を購入するなんて話もあったとか。
そんなバブル絶頂期の黄金世代からバトンを受け継ぎ、さあ自分たちの就職だ!東京ラブストーリーのように青山あたりで華麗に働き、カンチとリカのようなアフター5だとおバカな妄想ふくらませ、就職活動への心を固めようとしていた1991年、地価と株価の大暴落で突然シャボン玉がはじけましたとさ。
その頃、一人暮らしの自宅にも有線放送をひくほど音楽やラジオが好きだったこともあって、いろいろ考え有線放送の会社に就職を決めました。
このタイプのチューナーのフォルム、好きだったなあ。今でも惚れ惚れしてしまう(笑)
内定をいただいた際に、実は琵琶湖の保養所で、バーベキューやらカラオケ大会やらマリンレジャーやらバブル期復活かのような歓迎旅行がありました。入社したらこの保養所も自由に使えるなんて夢のような話も聞いて、「この会社、バブルの宴は終わってないのか?」と思ったりもしましたが、離職率の非常に高い会社でいわゆる引き留め作戦だったというのを知ったのは、入社して間もなくしてからのことでした(笑)
当時は、今でいう真っ黒な会社で、1年も経たないうちに、一緒に旅行を楽しんだ同期の皆はほとんどいなくなっていました。
それでも、尊敬すべき先輩や上司にも恵まれ、3年はかじりつかねばという信念で、戸別訪問や土日の屋外イベント、深夜早朝の飲み屋街での集金まで実に多くのことを経験させてもらいました。
あるスナックに4500円の月額料金を集金に伺ったとき、「こんな時間までお疲れ様ねー、ビールでも飲んできなさい」と優しいママさんに勧められ、有難くいただいたビールの料金が4500円だったときは、飲み屋街で生きる人たちの強さを知りました(笑)
その後、有線放送の会社を退社し、大学受験のときにお世話になった河合塾の玉置先生や里中先生、秋野先生などへの憧れや影響もあったのか、生まれ故郷の長久手町などで当時まだ3~4教室だった西塾という学習塾に拾っていただくことになりました。
20数年も前のことですが、このとき、西塾で塾講師の基本の基本から叩き込んでいただいた当時教室長だったF先生は、今も同じ会社の仲間として仕事をさせていただいています。
その後、西塾の教室数も増えていき、約20年前に個別指導塾である栄光学園と合併し株式会社エヌイーホールディングスという会社が誕生しました。
以来、月日が流れに流れ、西塾の高校受験部門や個別指導部門の責任者なども経験させていただき、10年前の2013年1月11日に社長に選定されました。
それからちょうど10年。
前職や社長になる以前も含め。これまでお世話になった全ての皆様に心より感謝いたします。
大好きで始めた教育の仕事。大切な社員・スタッフ、そして生徒・保護者など関わる全ての皆様の幸せに貢献できるよう、今後もこの命を使っていけたら幸せです。採用してくれた天国のK先生、見守っていて下さいな。
タイトルは「社長10年を振り返ってみた」でしたが、社長業をまったく振り返ってない(笑)
未来へ向けてがんばります!