クラシック 珠玉の名盤たち
チャイコフスキーの交響曲
Ne-dutch
●コンスタンティン・シルヴェストリ
フィルハーモニア管弦楽団
交響曲第4番 ヘ短調 1957年
交響曲第5番 ホ短調 1957年
交響曲第6番 ロ短調 1957年
シルヴェストリの第4番は一つの事件である。こんなことが許されて良いのであろうか。この曲で最も重要な冒頭のファンファーレの楽譜を改変するのだから、誰もが耳を疑い、戸惑い、理解に苦しみ、中には嫌悪感すら覚える人もいるであろう。最初に聴いた第4番がこの演奏だった人にとっては悲劇以外の何ものでもない。それでも何度もこの奇異なリズムに接していると不思議に馴染んでくる。それは後に続く何ともぎこちないワルツの動きから、シルヴェストリが意図していることが明確だから。中間楽章は比較的安全運転に徹したシルヴェストリであったが、終楽章の破壊力は凄まじい。この演奏が唯一無二の名演であることは疑うべくもない。
第5番も個性的な演奏ながら、第4番のような異常性はない。この録音は第5番のベスト盤と言っても良いであろう。アーティキュレーションをふんだんに採り入れているが、カラヤンのようなあざとさは全く感じられない。第2楽章のホルンのソロが泣ける…
僕が最初に買った「悲愴」のレコードが、この録音。購入したのは1975年3月16日のことだ。日付までわかっているのは、当時つけていた日記にこの時の様子が詳しく書いてあったため。クラシック好きを自称する、ませた小学生3人が駅前のレコード店に行く。「悲愴」のレコードを探すと、1,200円の廉価盤が1枚だけあり、友人と交渉の末、僕が手に入れた。もちろん、これが巨匠シルヴェストリによる名盤であることを知ったのは、ずっと後のこと。さて演奏についてだが、シルヴェストリにしては珍しく極めてまっとうなもの。録音日を確認すると、あのかっ飛んだ第4番の録音の翌日ではないか。楽団員だけでなく、プロデューサーのレッグ氏もさぞや驚いたことであろう。随所にシルヴェストリがこの曲に寄せる愛情が感じられ、心に染み入る名演。
●ワレリー・ゲルギエフ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第4番 ヘ短調 2002年
ゲルギエフの第4番は、第5番とは対照的に評価が芳しくない。ウィーン・フィルの洗練された響きを十二分に引き出した実に良い演奏であるのに、なぜか。思うにこのCDに手を出す人は熱烈なゲルギエフ・ファンが多いからであろう。そういう方にとっては、期待はずれ、肩透かしとなってしまう。その点、ゲルギエフとは少し距離をおく僕にとっては、期待値がそれほど高くない分、冷静な感覚で愉しむことができる。そう、第5番が出来すぎだったのだ。この後、ゲルギエフは手兵マリンスキー劇場管と第4番を2回も録音していることからわかるように、この曲に寄せる熱い思いが感じられる。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第5番 ホ短調 1998年
凄まじい演奏だ。第4番とは打って変わって、多くのゲルマニアが狂喜しそうな熱演。ウィーン・フィルをここまで奮い立たせるゲルギエフはさすがである。特にフィナーレ楽章終盤の怒涛のティンパニーは卒倒しそうになる。ゲルギエフの圧倒的な熱量が、凍てつくロシアの大地をも揺るがす。
マリンスキー劇場管弦楽団
交響曲第6番 ロ短調 1997年
若きゲルギエフの情熱がほとばしる名演。やはりこの曲は、ロシア人指揮者とロシアのオーケストラによるものでなければと実感する。ムラヴィンスキー盤に匹敵するとの評もあるが、それは言い過ぎか。カップリングされている「ロメオとジュリエット」も実に感動的な演奏。ところで、僕の持っているCDには、オーケストラ名が、ソヴィエト時代のキーロフ劇場管弦楽団と表記されている。旧称復帰から7年も経つのに不思議。
●ジョージ・セル
ロンドン交響楽団
交響曲第4番 ヘ短調 1962年
セルが発売を拒否した曰く付きの録音。セルが世を去った3年後、夫人の許可を得てようやく発売された。このあたりの事情については、ライナーノーツにプロデューサーのジョン・カルショーの回想が載っているので引用する。「ロンドン交響楽団の楽員たちは、世代の交代期にあった。そのため、秋にセルが戻って来たときには最高の状態ではなかった。(略)これほどの演奏解釈には、演奏の不備な点を補って余りあるというのがその理由で、そしてこのレコードの発売が歓迎されたことが、彼女の判断の正しさを証明した。」確かにオケと息が合っていないと思われる箇所はあるが、それはこうした事情を知っているからで、先入観なしに耳を傾ければ、まごうことなき名演であることを確信するであろう。
クリーヴランド管弦楽団
交響曲第5番 ホ短調 1959年
僕の大好きな第2楽章をこれほどまでに静謐かつ清浄に演奏してくれるとは。あろうことか、第4楽章の中盤で、クラリネットが凡ミスを犯すが、完璧主義者のセルが録り直しをしなかったのはなぜだろう。恐らく、この演奏にはもっと大切な何かがあったのではないだろうか。曲の解説で触れたシンバル追加がカッコ良く決まっている。
●若杉弘
ケルン放送交響楽団
交響曲第5番 ホ短調 1982年
若杉が求める音楽観を理解するのに最も適した演奏。抑えめの金管、まろやかな木管、滑らかな弦楽器と、上品で高潔な深みのある世界へと昇華していく。民族的要素を完全に排除した演奏は実に潔い。そもそもロシア的メランコリーを体現することなど無理なのだ。ライヴとは思えぬほど静まりかえった聴衆の反応に、この稀有な指揮ぶりに驚嘆した様子が覗える。
ケルン放送交響楽団
交響曲第6番 ロ短調 1979年
第5番同様、すばらしい演奏。感情に溺れることなく、インテンポで一糸乱れぬ歩みを繰り広げる。輪郭のくっきりした造形美も見事だ。第1楽章は、冒頭の木管と展開部終盤のティンパニーが印象的。第2楽章は、しなやかで滑らかな弦の響きに魅せられる。第3楽章は適度な凄みを見せながらも、荒々しさを感じさせない紳士的な盛り上がり方が実に心地良い。終楽章は慈愛に満ちた祈りの中で静かに溶け込むように曲を閉じる。カップリングされた弦楽セレナーデも、とてつもない名演。
●セルジュ・チェリビダッケ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第5番 ホ短調 1991年
序奏のテンポの遅さは想定内だが、主部に入ってからのテンポは尋常ではない。しかし、このテンポだからこそ、壮大なクレシェンドが活きる。すべてチェリの計算どおりなのだ。再現部の入りにも驚く。これほどまでの最弱音で奏でるとは。第2楽章も完全にチェリの世界観に支配される。沈痛さと安らぎを同時に感じられるのはなぜだろう。すべての楽器を主役にするような丁寧な音作りの第3楽章を経て、感動的な終楽章。堂々と威厳に満ちた演奏は、チャイコフスキーの輝かしい成功を具現化している。すばらしい。
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第6番 ロ短調 1992年
57分を超える凄絶な悲愴。第1楽章第2主題の弦の刻みに表れるように、このテンポ設定は意図したものではなく、あくまで結果であることがわかる。展開部は、名手ザードロのティンパニーが恐ろしいまでに訴えかけてくる。コーダのピチカートは、一粒一粒が意味を持っている。この楽章だけで25分を要するが、まるで一瞬の出来事のように感じられるのが不思議だ。地獄の底に引きずり込んでいくかのような終楽章は深淵さの極致と言える。
●フェレンツ・フリッチャイ
ベルリン放送交響楽団
交響曲第6番 ロ短調 1959年
この曲のベスト盤であることに疑いの余地はなく、この演奏を聴かずして悲愴は語れない。息の長いファゴットの音色に聴き入っていると、みずみずしい弦の登場に興奮せずにいられない。主部に入ると魔法のようなフリッチャイの棒さばきがさらに冴えわたる。戦慄の展開部は、これほどの激情を表しながらも格調の高さを保つところが凄すぎる。第2楽章は、寄せては返す波のようなうねりと、中間部の重い足取りが魅力的だ。躍動感あふれる第3楽章、これまで頑なに保っていたテンポを最後に加速するところが実に爽快。そして慟哭の第4楽章。むせび泣くような出だしから、揺れ幅の大きい弦が次第に盛り上がりを見せ、中間部のクライマックスで頂点に達する。長大なゲネラルパウゼの後は、切り裂くような弦の悲鳴。安らぎを与える銅鑼の響きでようやく落ち着きをみせ、消え入るように沈み込む。1950年代とは思えない鮮明な録音に驚かされるが、左右に開きがあるミキシングにやや難あり。
●カルロ・マリア・ジュリーニ
ロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第6番 ロ短調 1980年
ジュリーニのチャイコフスキーと言われると、どこか違和感が漂うが、稀代のメロディーメイカーとカンタービレ指揮者の組合せが成功しないわけがない。実に美しく、明るく、豊かで、格調高い演奏で、ファンタジックな音色の世界に魅了される。音楽監督に就任して3年目、ロス・フィルが最も輝いていた時代を象徴する名演。
●キリル・コンドラシン
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
交響曲第6番 ロ短調 1967年
コンドラシンとモスクワ・フィルの初来日公演の録音。あまりの重苦しさに打ちのめされる。第1楽章の展開部は、どん底に突き落とすかのようなティンパニーに驚く。疾走する第2楽章に、最後にティンパニーが炸裂する第3楽章。第4楽章は、ロシア的絶望感をまざまざと聴衆に見せつける。
●ウラディーミル・フェドセーエフ
チャイコフスキー記念モスクワ放送交響楽団
交響曲第6番 ロ短調 1993年
ちょうど100年前にチャイコフスキー自身の指揮で行なわれた最後のコンサートと同じプログラムを再現したもので、CDも、ピアノ協奏曲第1番の他、当時演奏された曲と同じように収録されている。楽譜もオリジナルのものを使用するという徹底ぶり。多分にフェドセーエフの名指揮によるのだが、この演奏を聴いていると、オリジナル楽譜の方がすぐれているのではと思ってしまう。会場は、フェドセーエフが「世界の中で最高のホールの一つ」と公言していた大阪ザ・シンフォニーホールで、これ以上望むべくもない名盤。
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