こんばんは!
今回は自作の短歌解説を行いたいと思います。
…はい、少々グロテスクですし、解説とか端書(短歌や俳句を詠む前に沿える一言)がないと何のことかわかりませんね。
これは「中身がスカスカな人ってどうかと思う」という旨の歌です。
西瓜って水分ばかりで、叩くとその大きさや重さに見合わぬ「コンッ」という軽ーい音がしますよね。
あれが私にとっては、とても拍子抜けする、というか、その程度か、というような嘲笑につながるんです。
(あと、個人的に西瓜、嫌いで…種が多いところとか、甘いだけのいっぺんどうの味とか)
それで、中身のない人って頭を叩くと軽い音がしそうだなーと連想して、中身のない人=西瓜頭と表現しました。
個人的には、「地に落ちる」というフレーズは、「西瓜頭」のフレーズと合わせるには少し重過ぎると感じてます。もっと、軽いものが落ちる表現にしたかった、というのが今回の課題でしょうか。
西瓜が落ちる音は、「ぐしゃっ」というよりも、「トシャッ」というイメージなので。
そして、落ちて割れた西瓜からは果汁が流れて、それに寄ってくるのは小さな虫だけ。
頭、という表現を用いているので、果汁を血液に例えました。
なんというか、文章を書くときに「具体性」が気になってしまうので、どこかに現実的な単語を入れたくなっちゃうんです。暗い内容も作風です。受け入れがたい人のほうが多いようですが。
ここで言っている「中身のない人」というのは、趣味とか嗜好とかに何のこだわりもない人です。
20年以上生きていれば、何かしらの譲れないものとか、病み付きになってしまうくらい好きなものとかあるはずじゃないですか。
「一切の執着を持たない」という人はいいんですよ。むしろとてもかっこいいと私は思います(ある意味「執着を持たない」ことに「執着」しているんですから)。
だけど、何もかもを「なんとなく」とか「なんでもいい」と言って他人に決めごとを丸投げするような人は、一体何をしてきたんでしょうね?「なんでもいい」は「どうでもいい」ということに気付いてないんでしょうか?
好みも流行に流されてばかり、趣味がないから他人の趣味の真似事をするもこだわりというものがないから三日坊主。
愚痴っぽくなってしまいましたね。実際にこういう輩がいるんです。素知らぬ顔で化粧道具や趣味をマネするような、そんな輩が(私自身が小さな人間ということは重々承知です)。
かといって、こだわりに固執する人も迷惑にはなるんですけどね。何事もほどほどが肝心です。
次回も短歌の解説を行いたいと思います。
よろしければ私の「うたのわ」のページもご覧ください。
http://utanowa.net/user/view/3511
それではー。