加賀は九谷焼発祥の地石川県加賀市大聖寺駅前の碑前田利家(初代加賀藩主)の子で三代藩主利常は長男を後継に次男を富山藩主に三男利治を大聖寺藩主に配置した。加賀藩は百万石以上の最大の大名であり、更に大きくなるのを恐れ幕府から分藩する意向があった。大聖寺藩主利治は産業勃興の為、後藤才次郎に山中温泉の九谷村に焼物の窯を起こすよう命じた。才次郎は肥前有田で技術を習得し1655年に窯を作った。その頃焼かれた物を古九谷と呼ばれている。