シカゴ万国博に出品する。初代為吉の婿養子、英一は「晴山堂」を東京の渋谷の百軒店(全国有名店街)に支店を出しました。
その後関東大震災で消滅し山代で「晴山堂」の経営を始め、後に九谷美陶園となります。
シカゴ万博に参加した時の賞状は今も九谷美陶園に飾ってあります
参考:渋谷百軒店(しぶやひゃっけんだな)
1924年(大正13年)に東京府
豊多摩郡
渋谷円山町
の「円山三業地
」に隣接する形で開発された商店街である。
西武の前身である箱根土地
の堤康次郎
が旧中川伯爵
邸を分譲し前年の関東大震災
で被災した下町の名店を誘致(この商法は後に五島慶太
が渋谷東急文化会館
開業において東急沿線在住の客が銀座・浅草まで出掛けずとも済むよう名店を誘致したことへと繋がってゆく)、まだ郊外の田舎町に過ぎなかった渋谷町
は被害が微少だった事もあり、聚楽座(劇場)、キネマ座(洋画封切館)、上野精養軒
、資生堂
、山野楽器
、天賞堂
など117店が集まった。
既存の日本鉄道
(現 山手線
)、玉川電気鉄道
(現 東急田園都市線
)、東京市電
に加え、1938年までに東京横浜電鉄
(現 東急東横線
)、帝都電鉄
渋谷線(現 京王井の頭線
)、東京高速鉄道
(現 東京メトロ
)銀座線の渋谷駅が開設されターミナル駅
となった事に伴う集客効果もあり浅草六区
を凌ぎ東京一と評されるまでとなる。しかし震災の傷も癒え浅草・銀座がめざましく復興するとともに多くの店が去り、替わってカフェー
やバー
などの飲食街として息を吹き返すも1945年
の東京大空襲
によって全焼する。
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