オリンピック馬術競技
⏬️✨️中大障碍騎兵少佐
今村安
ソンネボーイ号
インターネットより✨️⏬️

今村 安
🌟生誕
1892年1月30日
山梨県甲府市
🌟死没
1966年10月23日
(74歳没)
宮城県仙台市泉市南光台
🌟所属組織
大日本帝国陸軍
🌟軍歴
1913年 〜1945年
🌟最終階級
陸軍大佐
🌟除隊後
金鈴会
大阪愛馬会
ロサンゼルスオリンピック
🌟帰国後、今村は
ロサンゼルスオリンピック
に向けた準備を進めた
今村は本命馬をソンネボーイ
副馬をダンシングダイナ
(馬主・李王家)とし
障害飛越競技に
参加することになった
今村ら日本馬術選手団は
1932年(昭和7年)
4月22日には横浜港を
出港し21日かけてロサンゼルス
のサンペドロ港に到着した
到着後、選手団一行は
リビエラカントリークラブ
に泊まり、馬も特設の
厩舎に入れて本番まで
練習を重ねた
日本選手団は長かった
旅程や慣れない環境
そして練習場の地盤の
固さもあり、人馬共に
怪我などの不運に
見舞われ
今村のソンネボーイと
ダンシングダイナは跛行
が見られたほか、今村が
欧州で調達した
ファレーズと共に
障害飛越競技に
参加する予定だった
吉田重友が落馬負傷して
大会に出ることが
できなくなった
🌟1932年8月14の
ロサンゼルスオリンピック
最終日、快晴の中で
障害飛越競技が開催された
今村の競技順は3番目だった
ロサンゼルスオリンピックの
障害飛越競技はかなりの
難コースであり
1番目の
アンドレ・ボカネグラと
2番目の
ジョン・W・ウォフォード
も3回拒止で
失権となっていた
今村はソンネボーイと共に
第4障害まで進んだものの
ボカネグラも失権となった
第4障害は高さ1.35mの
割木牧柵と幅1.5mの乾壕が
組み合わさった難度の
高い障害であり
ここで3回拒止のうえ
落馬して失権となった
最終的に
参加選手11人中5人のみが
完走という結果となったが
西がウラヌスと共に
8失点で完走し
日本人で初めて馬術競技で
金メダルを獲得している
🌟大会が終わると
8月17日には日本選手団の
第一陣が春洋丸で帰路につき
今村も第二陣として
8月22日に秩父丸に乗って
帰国することになった
今村は馬匹輸送の監督を
任されたが、滞在中に
有り金を全て酒につぎ
込んでしまい、帰りの資金が
なくなっていた
そこで選手団長だった
大島又彦
『ワシが出してやる』と
言って帰りの資金を出し
無事に帰国できた

