外交でも、安倍首相の「まっとう」さに期待! | maple8cinnamonのブログ

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メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
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忙しくて、こうしたブログを全部書くのは大変だ。
老眼だし…。

2006年に安倍首相が就任後初の外遊先に選んだのが支那だった。
当時一回目の首相就任だった安倍現首相が2006年10月8~9日に訪中した、その時の秘話を明かした古い新聞記事(産経新聞?)のテキストがあったので、これを以下、貼り付ける。
それで、少し楽をしたい。

違法?
引用ってやつだけどね。

以下、引用
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□想定問答無視、聞き役に回らず 文書破棄も覚悟、譲歩引き出す

首相として5年ぶりの訪中を果たした安倍晋三首相。日本との関係修復を急ぐ中国は国賓級で首相を迎え入れ、8日の北京は歓迎ムード一色に染まったが、水面下ではギリギリの駆け引きが続いていた。
北朝鮮問題などをめぐり、東アジア各国が外交戦略の転換を迫られる中、外務省が主導してきた「予定調和」の日本外交が終焉(しゅうえん)したことは間違いない。(石橋文登)


 ▼幻のあいさつ

8日夕、温家宝首相主催の晩餐(ばんさん)会の直前。胡錦濤国家主席らとの一連の会談を終え、人民大会堂内の一室でひと息ついていた首相の表情がサッと険しくなった。
外務省高官が「中国側の意向」として、あいさつの修正を求めてきたのだ。

「なぜ私のあいさつの内容を中国側が知っているんだ?」。
首相の問いに高官は押し黙った。

「こちらは温首相のあいさつを把握しているのか?」。
答えはなかった。相手の機嫌を損なわないことを最重視してきた外務省の「外交術」がかいま見えた瞬間だった。

「それではあいさつはできないな…」。
首相の一言に高官らは狼狽(ろうばい)したが、首相は頑として譲らず、あいさつはキャンセルとなった。
この夜、安倍、温両首相らが和やかに談笑する晩餐会の様子が世界に報じられたが、両国高官にとっては居心地の悪い席だったようだ。


 ▼会談の心得

首相の訪中を2日後に控えた6日、麻生太郎外相は衆院予算委員会の最中、首相にそっと手書きのメモを差し入れた。

「首脳会談の心得」。
要点は(1)両手で握手をしない(2)お辞儀をしない(3)政府専用機のタラップは夫人と並んで降りる-の3つ。
首相はニヤリと笑って軽く会釈し、メモを胸ポケットにしまった。

首相と麻生氏がもっとも懸念したのは、歴代政権のように「日中友好」の甘言につられ、中国側に「朝貢外交」を演出されることだった。首相は握手の際、笑顔を見せたものの、視線は相手から一瞬も離さなかった。

さらに首相は一計を案じた。相手より長く話すこと。中国は古来官僚国家であり、文書をもっとも重視する。聞き役に回れば、書面上は「負け」ということになるからだ。

温首相は会談の冒頭から漢詩などを引用し、とうとうと話し始めた。首相はそれ以上に長い時間をかけて話を続け、特に歴史認識や靖国神社参拝に対する中国側の婉曲(えんきょく)な批判への反論にはたっぷりと時間をかけた。

外務省が作った想定問答はほとんど無視され、会談時間は予定の1時間から30分もオーバーした。中国側が「日本人は聞き役で、うなずくだけだ」と考えて会談に臨んだならば、大きな計算ミスだったといえる。

首相は最後に、練りに練った「殺し文句」を放った。
「過去の歴史の問題では、わが国60年の平和国家としての歩みに正当な評価を求めたい」。
温首相から「評価している」、胡主席から「信じている」という言質を引き出したことは大きな成果だろう。


 ▼共同プレス発表

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」
首相は訪中前、周囲にこうつぶやいた。

訪中を指すのかどうかは分からないが、首相にとって、訪中は今後の政権運営をにらんだ大きな賭けだった。
それだけに首相は慎重姿勢を貫いた。中国側による招請は先月30日だったが、首相が決断したのは3日。

しかし、正式発表の土壇場でもギリギリの攻防があった。
中国側が急遽(きゅうきょ)、正式発表の際に「政治的障害を除去し」という言葉を使うよう求めてきたのだ。
首相は会談延期をにおわせて拒否し、最後は中国側が「除去」を「克服」に変えることで折れた。発表が4日午後にもつれ込んだのはこのためだ。

会談の文書化をめぐっても暗闘が続いた。中国側は文書に固執したが、首相は難色を示した。平成10年の小渕恵三首相と江沢民国家主席による「共同宣言」では、過去の責任と反省を示す「村山談話」が盛り込まれ、その後の対日批判に利用されたからだ。

中国側は訪中前日になって大幅に譲歩してきた。
「歴史を鑑に」という常套(じょうとう)句は「双方は歴史を直視し」に変わった。
日本側が主張する「未来志向」「東シナ海問題の協議」「北朝鮮への憂慮」も加えられた。

それでも首相は慎重だった。
外務省側は会談前に「共同プレス発表」を交わすことを公表する考えだったが、中国へ向かう政府専用機内でその意向を聞かされた首相は「会談が終わるまでは絶対にダメだ」と譲らなかった。
会談次第では、文書の破棄も念頭においていたようだ。

結果として、首脳会談は日中両国とも成果を強調できる形で終わった。だが、もしギリギリの攻防を回避していた

ら日本側に果実はあっただろうか。

会談後、中国の武大偉外務次官は日本の高官にこうささやいた。

「安倍首相が手ごわい相手だということは前々から分かっていましたよ」》

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以上、引用


これを以って、直ちに安倍首相を反中と断ずるのは間違えている。
支那という相手と対峙する際に必要な慎重さを、行動に表しただけのことである。

今回自民党は「まっとうな政治を取り戻す」というスローガンを掲げて、政権に帰ってきたが、「まっとうな政治」姿勢は安倍首相の身上と思われる。

支那が信頼できる国家になればいいだけの話で、何も安倍首相の政治姿勢がどうとか言われる筋合いのことでは無いのだ。

まあ、支那が信頼できる国になることは、あと地球が3回滅びても無理だろうな!


ただ、冒頭産経新聞石橋記者が断定した次の言葉は、その後の阿倍首相の予期せぬ退陣のお陰で、以降の日本外交にはまた当てはまらなくなってしまったことは残念に思う。

>> 外務省が主導してきた「予定調和」の日本外交が
>> 終焉したことは間違いない