自由自由主義とやら、よのつねにて、されどまことにをかし。
「じゆうは正義」「選べることは善」などと、
声高に申すを見れば、
その眼、すでに選ぶ力を失ひたるものなり。

己が欲することのままに生きるを、自由と心得、
規律を忌み、義務を嘲り、
そのくせして「他人に縛られたくない」と申す。
かかる姿、まことに小さき自由の、いと滑稽なり。

真の自由とは、欲のままに生きることならず。
己が欲を越え、他者を知り、
時に己を律することのなかにこそ、
自由の尊さは宿るものを。

それをば知らず、
「選ぶことができる自分」が好きなだけの者、
ありとあらゆる選択肢に酔ひて、
いづれも手につかぬまま、時を溶かしゆく。

自由を語るに、あまりにも奔放。
自由を讃ふるに、あまりにも自己中心。
さればこの者ども、いつしか
「自由を求めて不自由になりたる者」になりぬる。

なにかと申さば──
自由自由主義とは、己の孤独を言いかへたる名にて、
選ぶたびに誰かを失ひ、
好き勝手の果てに、責任の所在を見失うものなり。

ああ、いとかなしく、いとたのし。
この世の自由に溺れし者、
その最期に問うことあらむ──
「これはほんに、わたしの選択であったか」と。