欲しくてたまらない現実が
この手ですくえる
この手ですくえる
手ですくってもすくっても
指の隙間から
サラサラと流れ落ちる砂
のように
指の隙間から
サラサラと流れ落ちる砂
のように
望み・欲しい現実を
どうして
こうも私は掴めないのだろう。
どうして
こうも私は掴めないのだろう。
一方、周囲を見渡すと
あれよあれよと自然に手にしている
人達もいる。
人達もいる。
何が違うの?と嘆いて悲しくて
涙したのは数知れずでした。
涙したのは数知れずでした。
そんな私が
今どんな人生を生きているのか…♫
今どんな人生を生きているのか…♫
どうぞご覧くださいませ(^o^)
忘れもしない2015年5月、適応障害と診断を受けて休職。
迷惑かけてしまった。
社会から外れてしまった。
なのに、
復帰を考えると正直辛くて辛くて嫌で仕方ない。
そこから、長く長く通院、適応障害はうつ病の診断へと変化して。
音がうるさくて1人で居る時はテレビつけないし、音楽もかけない。
面白い、楽しいと感じられない。
好きだった音楽も耳障りですぐ消す。
漫画すら集中して読めなくて、気が散りすぎて数ページですぐやめちゃう。
活字だけの小説類の本も、以ての外。
音だけの理由じゃなくて、集中してストーリーにのめり込めなくて、つまらなくなって、ドラマも映画もアニメも見ない。
そんな生活が当たり前になってたんです。
あれから11年が経ったわけですが
社会貢献がしたい思いが湧いて、気付いたら行動に移せていたり
今日は、音楽を聞きながら夕飯の料理を作った。
ほんのたまに、若い頃から好きだった曲を流す程度ですぐ飽きちゃう、楽しめないので
音楽再生アプリに手を出そうとすることすら思ってなかった。
(利用していない方が時代遅れのように感じる昨今でも、使わないからという理由が明白て完全に興味無くしてたのに)
必要性を全く感じなかった。
それが、今日は違った。
使ってみようと思い立ち
アプリを開いて
夕飯作りでキッチンに立っている間ずっと音楽を流して
その変化の嬉しさを残しておこうと
眠りにつこうとしつつ、ブログを書いていた、昨晩も、イヤホンを付けてでも音楽を聞きながらブログを書いていた。
睡魔に負けて途中で下書き保存したけど笑
これには驚いた!!
驚いた!そして、驚き以上に
そんなわたしが嬉しくて。
停滞しても、躓いても、
生きているうちに
昨日まで知らなかったものや
色んなことを
味あわせてあげたい
選択をする時は、お金や時間や年齢や
色んな理由で本音とは別を選んだとしても
それが、その時の真っ当な選択だと思うだろう。
でも
こんな理由で死ぬなら
あの時これを食べておけばよかった。
ふとあれやりたいなと思ったのをやっておけばよかった。
人生をふり返った時
真っ当な選択だと思っていたのが
命と比べたらなんら、些細なものだったと
気付き、妥協せずに味あわせてあげたらよかったと
大きな後悔へとならぬよう。
本音を妥協する代償は大きいと思っている。
もっと「好き」に触れて
「好き」から産み出される
喜び、感動、エネルギッシュな力が
見たことがない景色を
わたしがわたしには見せてあげられるだけの気力として湧いてくる。
ふと興味が湧いた私に対して
機会を与えてあげることが出来るのは
誰でもない、わたししかいない。
見たことがない素晴らしい景色を
味あわせてあげる
その見たことがない素晴らしい景色は
命と比べたら些細な妥協に過ぎない。
そう、怖くないし
本音は命と同じくらい大事なもの。
本音が大事にされたら、体の細胞・全感情は嬉しくて一生忘れることがないだろう。
本音はわたしの世界、わたしの宇宙
一生の恩として、体の全細胞、全感情がわたしの宇宙と化して、報いるものを差し出してくれると信じています。
好きという本音を
興味があるという本音を
存分に味あわせてあげたいものです。
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