どうしてかわかりませんが、この方のブログに深い共感を覚えます。

第1章 二十世紀の奇跡

 

 

◎ 観世音菩薩像の出現

 

 

 

 昭和五十三年十二月六日午前九時三十分、前日岡山のH社長と同道で横浜の天玉尊先生のお宅にお邪魔し、その翌日朝九時に東京へ向けて出発しようと準備していた時である。

 先生が、

 『神様が東京へ行くなと言っておられるよ』

 と告げられた。

 朝十時に東レと兼松エレクトロニクスKKへ行くつもりであった。

 しかし、

 『東京行を中止せよ』

 といわれると気持ちが悪くなり、訪問予定先へ電話してお断わりする。

 九時二十分に、先生が、

 『寄り道ができなくなるようなものを持って、直接大阪へ帰らなければならなくなる、と神が言っておられるよ』

 と再び告げられた。

 そして九時二十五分、先生は二階へ上がられ、先生の世話をしている八重子さんは炊事場へ行く。

 手持ち無沙汰なので、広間に週刊誌があったことを思い出して取りに行った。

 なに気なく祭壇を見ると、観音像があった。

 十分前には無かったのに、どうしたのかなと思いながらも、気にも止めずに週刊誌だけを持って部屋に帰ってきた。

 先生が二階からトントンと降りてくると同時に、

 『ゴーッといっておられるよ』

 と告げられた。

 八重子さんが、私が一番に見つけると言って炊事場から飛び出して祭壇の部屋へ走ってゆく。

 私の背のふすま一枚をへだてて、祭壇まで二メートルぐらいの距離である。

 同時に祭壇につく。

 八重子さんが

 『あった』

 と言って先刻の観音様を指で差した。

 これなら先刻あったよ、と言うと、八重子さんは

 『そんなことはない、私は見たこともない観音様』

 だと言った。

 見れば気高いお顔で、手には薬つぼを持っておられる。

 最近出現された二つの観音様とは異なった形で、見たこともないものであった。

 先生は神様に伺ってみましょうと申されて観音経を唱えられた。

 その終わりごろ、それが神示に変わって行った。

 菩薩(われ)は白衣観音大菩薩である

 政木家に授くるものである

 と言葉はわかり難い古い話し方のようである。

 神示は長々と続き、途中において、

 『政木に菩薩(われ)の影を見せたり』

 と申された。

 九時二十五分に私が見たと思った仏像は出現する前の幻影であったのか?思い当たるふしもある。

 私は新しい仏像が祭壇にあれば必ず手にとって、しげしげと眺めるくせがある。

 昨年も、手を前に向けた大黒様を手に持って前後左右を見ている間に、右手の親指の上に人差指が一本ニョキニョキと生え出したのでびっくりした。

 『先生、この大黒様の指が六本になったよ』

 と言うと、その近くにいた人々が、そんなばかなことはない、昨日は五本だったよと異口同音に叫び、私のところに寄ってきた。

 そして指を数えて

 『やっぱり六本ありますね、不思議だ、昨日は五本だったのに』

 と、頭を傾けた。

 このように、私は新しく出現した仏像を虫メガネ等でよく調べる習性があるにもかかわらず、今日の観音様は手にとろうともしなかったことを思い出した。

 私はその朝九時に、玉串を奉納する三宝の前に立ったとき、そこには何もなかったことを思い出した。

 その三宝のすぐ上に観音様が出現している。

 九時二十五分にも、それと同じ場所にあったことを思い出した。

 いままでに出現された大黒像二体とエビス像のときと異なり、この日の仏像は、ご神体と台座が別の日に造られたような気がする。

 台座の方は出現の瞬間に造ったことを示すように、水分が多く香りも相当にあるが、ご神体は昔々に造られたような気がする。

 すると、政木フーチパターンで測定せよと言われたような気がするために測り出した。

 政木フーチパターンは、いままでは人間性だけを測っていたが、このようなことは初めてである。

 そこで、フーチパターンに質問をして、ノーかイエスで答えてもらうことにした。

 その結果、ご本体は一千年以上前に天上界にて造ったものであり、台座は出現の日に造ったものだと判明した。

 この日、初めて政木フーチパターンがこのように時間的なことをも示してくれることを知らされたものである。

 天玉尊先生に厚くお礼を申し述べつつ帰路についた。

 新幹線のこだまの座席で、桐箱に安置された観音様をつくづくと眺めた。

 見れば見るほどきれいである。

 気品あり、形よいくちびるに少し紅を差し、長い目が慈愛を込めて少しうつむき加減となっている。

 最高によい鼻の形、正面から見ても、横顔も、一点の非の打ち所がない完ぺきなものである。

 帰宅後、仏像図鑑を開き全国の仏像とくらべてみたが、これほど高貴な姿は見出せなかった。

 天上界で作られたと、先生はいわれていたように、人間には到底作ることのできないものであろうと思われる。

 その後、美術館の専門家によって調査していただいた結果、大体一千二百年前の作風と同じであるとわかり、フーチパターンと合致することになった。

 観世音大菩薩像のご出現によって、政木フーチパターンの応用範囲が一段と広くなってきたことになる。




精神文明と奇跡
第三刷発行:昭和五七年九月二十日
著者:政木和三
発行者:後藤房子
発行所:日新社
    岡山市尾上二七七〇 電話〇八六二(八四)二一二一
印刷書:山陽印刷株式会社
    岡山市中山下二丁目五-五〇-一〇一