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【連載】勉強法と思考法の目次ページを作成しました。順に読みたい方はこちらから。
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あなたは中庸という言葉をご存知ですか?
私はこれが人間界における究極の心理だと思っています。
辞書で調べると、
「偏ることなく、常に変わらないこと。調和がとれていること。」
とあります。
意味としてはバランスをとることに他なりません。
「なんだ普通じゃん」と思われた方も多いかもしれませんね。
しかしこの言葉は非常に奥深い。
「中庸」という言葉は、『論語』のなかでも登場します。
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」
儒学においても、目指すべき中心概念とされています。
そして、「中庸」という書があり、儒教では最後に学ぶべきものとされている高等な概念です。
古代ギリシャにおいても、「メソテース」という言葉があり、両極端の中間を知るということがとても重要視されています。
ひとつ面白い事例があります。
ランダムに選んだ30人の顔を合成していくとどんな顔になるか知っていますか?
ほぼ例外なく、「超美形」が出来上がるのです。
他にも、異民族同士の間に生まれた子は美形になることが多いですよね。
ハーフやクオーターにやたらと美形が多いのもそういうことなのかもしれません。
これは物理的な例で、面白いから紹介しましたが、思想面においてもバランスを取るということは非常に重要です。
自分とは正反対の考えを持つ人がいたとしましょう。
「なぜこの人は私の言うことが理解できないのか?」
あなたはきっとそう思うでしょう。
でも、相手も同じことを思っています。
一体どっちが間違えているのか?
おそらくどちらも間違いではないのでしょう。
この世の中、明確な正解がない問題がたくさんあります。
お互いに見ている世界が違うわけです。
そんな時、この中庸という言葉を思い出しましょう。
相手の立場に立って物事を捉えてみる、いわば多面的な視点で見てみるということです。
そうすると見えなかったものが見えてきます。
そこから二つの価値観をお互いの妥協点にとどまらず、高い次元でミックスし、バランスをとるように試みる。
これを繰り返すことが、おそらく中庸なのでは、と私は考えています。
数学的に「バランスが取れた状態」とはこの二つのことを指します。

上の状態は、ちょうど山のてっぺんにボールがあって、なんとかバランスをとっている状態です。
ちょっとでも気を抜くとを崩すと転がってしまいます。
常に高いレベルでバランスをとり続ける。非常に難しいです。
下の状態は、何も考えずに妥協の末落ち着いたバランス点です。一度陥ると抜け出すのは大変です。
目指すべきは上の状態。これが私の中庸のイメージです。
なかなか難しいですが、ひとつの価値観に縛られず、色んな物を見て、経験して、感じる。これを意識してやる必要があります。
「常識的に物事を考えすぎると、非常識なものが生まれる。」
こんな言葉がありますが、これは理屈で物事を考えすぎる人が陥る現象です。
理屈だけで考えると、「それありえないでしょう」という答えで結論づけてしまうことが、本当に起こってしまうのです。
理屈で全て説明できるほど世界は単純ではありません。
本来はいろんな感覚的な世界が存在して、それらを頭の片隅に感じながら、何が最適なのか、それを考えていくべきなのです。
それは多分に感性を必要とするものですが、しかし言葉で全てを説明しようとすると、どうしても理屈が勝ってしまうのです。
ひとつのものに執着せず、意見が対立したときは常に相手の立場に立って物事を考え、感性を磨くよう努力しましょう。
「われわれは知覚することを期待しているものだけを知覚する」
自分の価値観だけで世界を見ていませんか?

当ブログを一人でも多くの人に知っていただきたい。
そう思って日々記事を書いております。
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あなたは中庸という言葉をご存知ですか?
私はこれが人間界における究極の心理だと思っています。
辞書で調べると、
「偏ることなく、常に変わらないこと。調和がとれていること。」
とあります。
意味としてはバランスをとることに他なりません。
「なんだ普通じゃん」と思われた方も多いかもしれませんね。
しかしこの言葉は非常に奥深い。
「中庸」という言葉は、『論語』のなかでも登場します。
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」
儒学においても、目指すべき中心概念とされています。
そして、「中庸」という書があり、儒教では最後に学ぶべきものとされている高等な概念です。
古代ギリシャにおいても、「メソテース」という言葉があり、両極端の中間を知るということがとても重要視されています。
ひとつ面白い事例があります。
ランダムに選んだ30人の顔を合成していくとどんな顔になるか知っていますか?
ほぼ例外なく、「超美形」が出来上がるのです。
他にも、異民族同士の間に生まれた子は美形になることが多いですよね。
ハーフやクオーターにやたらと美形が多いのもそういうことなのかもしれません。
これは物理的な例で、面白いから紹介しましたが、思想面においてもバランスを取るということは非常に重要です。
自分とは正反対の考えを持つ人がいたとしましょう。
「なぜこの人は私の言うことが理解できないのか?」
あなたはきっとそう思うでしょう。
でも、相手も同じことを思っています。
一体どっちが間違えているのか?
おそらくどちらも間違いではないのでしょう。
この世の中、明確な正解がない問題がたくさんあります。
お互いに見ている世界が違うわけです。
そんな時、この中庸という言葉を思い出しましょう。
相手の立場に立って物事を捉えてみる、いわば多面的な視点で見てみるということです。
そうすると見えなかったものが見えてきます。
そこから二つの価値観をお互いの妥協点にとどまらず、高い次元でミックスし、バランスをとるように試みる。
これを繰り返すことが、おそらく中庸なのでは、と私は考えています。
数学的に「バランスが取れた状態」とはこの二つのことを指します。

上の状態は、ちょうど山のてっぺんにボールがあって、なんとかバランスをとっている状態です。
ちょっとでも気を抜くとを崩すと転がってしまいます。
常に高いレベルでバランスをとり続ける。非常に難しいです。
下の状態は、何も考えずに妥協の末落ち着いたバランス点です。一度陥ると抜け出すのは大変です。
目指すべきは上の状態。これが私の中庸のイメージです。
なかなか難しいですが、ひとつの価値観に縛られず、色んな物を見て、経験して、感じる。これを意識してやる必要があります。
「常識的に物事を考えすぎると、非常識なものが生まれる。」
こんな言葉がありますが、これは理屈で物事を考えすぎる人が陥る現象です。
理屈だけで考えると、「それありえないでしょう」という答えで結論づけてしまうことが、本当に起こってしまうのです。
理屈で全て説明できるほど世界は単純ではありません。
本来はいろんな感覚的な世界が存在して、それらを頭の片隅に感じながら、何が最適なのか、それを考えていくべきなのです。
それは多分に感性を必要とするものですが、しかし言葉で全てを説明しようとすると、どうしても理屈が勝ってしまうのです。
ひとつのものに執着せず、意見が対立したときは常に相手の立場に立って物事を考え、感性を磨くよう努力しましょう。
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