引き続きペスタロッチー読み進めています。
(今回は徒然に書きすぎたため、文章が平易ではなく、長くて退屈かもしれませんので、興味のある方のみお読みください。)
隠者の夕暮は非常に読みにくかったですが、
シュタンツだよりは比較的読みやすい。
さて内容はといえば、ペスタロッチーがシュタンツという場所で孤児院を開き、子どもたちと生活を共にした時の記録です。
シュタンツ孤児院にやってきた子どもたちは、腫物で潰れたような顔をしていたり、脚に感染症を起こしてろくに歩けない子も多く、皆痩せこけて、それまで苦悶に満ちた生活を送ってきました。
そんな生活を送ってきたわけなので、中には偽善や詐欺にも慣れている子も少なくありませんでした。心はすさんでおり、邪推深くて愛情もなく、また臆病でした。
精神的にも、身体的にもともにまともな教育など受けておらず、基本的な学びの訓練が不足している子どもが十人中十人でした。
そんな子たちを引き取り、ともに家族同然で生活していくなかで、ペスタロッチーは持てる全ての愛情を注ぎ、子ども達を立派に育てていきました。
ペスタロッチーからすれば当時の型にはまった学校教育よりも、日々生活していくためにやらなければいけないことをこなしていくことこそ、彼らの未来を明るく照らすためには重要であると考えました。
この、一見単純ではあるが純粋な家庭的な環境ないし関係のなかでたくましく生きて行くことができれば、精神力、活動力は磨かれ、本当の意味での内面的な充実を得ることができることを確信していました。
そして物乞いをしたり詐欺をしたりして過ごしていた子ども達はいつしかペスタロッチーの情熱や愛情を理解するようになり、熱心に学習するようになりました。
ペスタロッチーの主張はこうです。
•家庭教育のもつ長所は学校教育によって模倣されねばならない。
・よい人間教育は、居間にいる母の眼が毎日毎時、その子の精神状態のあらゆる変化を確実に彼の眼と口と額とに読むことを要求する。
•よい人間教育は、教育者の力が、純粋でしかも家庭生活全体によって一般的に活気を与えられた父の力であることを根本的に要求する。
つまり、人間教育とは、家庭教育の営みの中にある。母と父による子どもへの深い愛情、眼差しこそが全ての基礎になる。学校教育もその延長線上でなければならない。ということです。
子どもたちの心の成長において、それだけ家庭環境が重要であると説いたのです。
また、ペスタロッチーは
子どもたちは彼に力を与えてくれるもの「ぼくにはそれができる」と子どもに言わせるものは何でも欲する。
と述べていますが、この「ぼくにはそれができる」こそが、まさしく子どもの意欲の源泉であり、
この意欲の源泉を摘まないように接していくことで、道徳心、向上心などは自然に身についていくだろうと考えました。
彼が自らの教育についての考え方を基礎の教育の理念と呼んでいましたが、とにかく内面を充実させ、純粋で、根本的な教育こそ重要であると考えました。
ここからは僕個人の考えですが、今の学校教育、家庭教育の内情を見ると、どうしてもこの基礎の部分がおろそかになってしまっているように感じます。
成績を上げたい。
そう考えられるのは至極当たり前のことですが、成績だけを上げようとしても無理だということです。
もっと子どもの内面に働きかけ、
「ぼくにはこれができる」
「ぼくはこうなりたい」
という感情が湧き出すように仕向ける必要があると思います。
・現状に何一つ不自由を感じていない
・ダラダラしたい
・頑張りたくない
・適当に生きていけばいいや
・今が楽しければいい
心の中でこんな風に思っている子に無理やり勉強させても、生まれるのは反発心、嫌悪感、苦手意識だけです。
自分が太っていることに危機感を全く感じてない人に、じゃあ今日からダイエットしなさい、と言ったところで、果たしてその人はダイエットを始めるでしょうか。
子どもたちの心も、大人と同じなのです。もっと内面を揺さぶらないと変わりません。
物質的には満たされ、短期的な欲求、娯楽が溢れすぎている世の中ですから、そんな中でやる気を高めてあげるのは簡単ではないと思います。
しかしそれをするのが親であり、教師の役目なのです。お父さん、お母さんは、子どもに成長して欲しいと願うなら、まずはもっと子どもに注目してあげてください。会話をしてください。
大人目線の論評は不要です。まずはそこから始めてみてください。必ず何かが変わるはずです。
今日から始めましょう。
僕自身も家庭教育の補助者となり、子どもたちの内面をもっと刺激できるような教育を追求していきたいと思います。