--- 今日こそは…。

あぁ、今日もがんばれなかった。朝起きてたてた目標のいったい何割を達成したのだろう?

ううん、今日の分は明日かならずとりかえそう。

またAM5:00のアラームをセットして眠る…。



どうしても堕落してしまう。
いつもそう思うたびに、何か努力の方法を探してみる。
その時間で、やろうと思っていることを、ただただやればいいのに。

ふと思ってみた。
そもそも理想としている自分があるはずなのだ。
でなければ、目標を掲げるはずもなく、目指す場所もない。

…しかし、具体性には欠けている気がする。

では自分がめざす天才について具体的に一度考えてみることにする。
そして"そいつ"と自分を比べて、どんだけの差があるのか、確認してみたい。
その差を確認することによって、逆算してたどればきっと天才になれるはずである。


天才とは、少ない時間で他人より成果を出す存在である。


ここで目指すべきは唯一無二という存在ではない。
(そんな目標をたてたら、達成は不可能だからな!)
天才はいつも時間を守っている。
決めた通りの時間で動いているから無駄がないのだ。
『時間×作業量=成果』時間の経過によって成果を上げている感覚はあまりない状態になっている。
どちらかというと、『成果/時間=作業量』のようなある成果を目標に、時間を分割して使っているはずなのだ。

最終的に成果を求める思考では、成果がブレやすい。
成果を固定し、そこから限られた時間の中で作業量を算定する思考をたどっている。


しかし完璧ではない。100%飽和した状態ではなく、ゆとりをもった状態に身を置いている。
目標ルートから外れた時、修正できるようにガチガチで行動してはいない。
そのために、作業スピードに関してはなるべく最短を取っている。
このためにも、成果を前提条件として固定させることが大事であるはず。
よくありがちな、「あぁ、ここでこだわらないと、内容が充実しないかも」というタイムロスを防ぐ。不確定な完成度ではなく、前提とした完成にまっすぐ進むことが大事である。

こうなってくると、もう1つ必要なのが客観性が必要になってくる。
目標に対して結果を出した時、検証することが必要になる。
目標と結果を比べて、そこで初めて自分の状態を確認して次の行動に移ることができる。
目標と条件の異なったものや、またそれに見合う結果を出せない場合は、比べる術がなく結果として自分自身を検証することはできない。

この2つの条件から、最も重要と考えるべきは成果とする目標の設定である。
目標については、主観的なものではなく、客観的に評価の可能な目標を設定する必要がある。
つまり、数値化するものを目標に掲げるべきである。

そしてもう一つ必要なのが、達成しなかった場合を想定した、コインの裏側のような対策である。
目標のみを正解としてしまうと、そこから外れた場合にそこに費やした労力そのものに意味がなくなる可能性がある。
目標を正解とするのではなく、目標はあくまでも一つの仮定であると認識する。

目標から外れた場合の分析は、目標を達成した場合よりも重要と考えることができる。
達成したときに想定した内容と、実際の結果の内容を比較する。
クオリティを検証することによって、今後の改善がより具体的になる。
考え方次第では、目標を達成するよりも意義のあることである。

最悪なのは、条件そのものが達成できないケースである。
これでは、軸に対する比較がそもそもできず、異なる方法を行ったことになってしまう。
つまり目標そのものに、無理があったことのみを意味する。
これを回避するためにも、目標設定は重要にしなければならない。


ここまで具体化して気付いたことがあった。
目標に対して、かなり主観的になっていた事だ。
人間的に主観的に生活することを否定しているわけではない。
ゴールへ向かうには、運動会の徒競走のようなイメージがあったが、改めて、仮説と検証を繰り返す事と認識しなおしたほうがよさそうだ。