パリの選手村エアコン騒動に32年前を思い出す

厳重警備も前例がなかった

 

バルセロナきっての繁華街ランブラス通

 

 今回のパリ五輪で話題になっているのが、選手村の部屋にエアコンがない、選手村の食事が質量ともお粗末、警備が特段に厳重…といった競技周辺の話。

 

 警備に関していえば、開会式直前に高速鉄道TGVの施設が国内各所で放火されるという事件が発生して緊張が一気に高まったが、複雑な国際情勢などを受け、この放火以前から警備には気が配られていた。

 

 1992年のバルセロナ五輪では、当時スペイン北部のバスク地方の独立派による爆破テロが国内で頻発していたこともあり、大会中の警備はそれまでのオリンピックではみられなかったほどの厳しさだと言われた。

 

 市内の大きな通りには、200㍍ほどの間隔で装甲車が並び、道路脇には自動小銃を抱えた兵隊が50㍍おきに立っていた。

 

 そんな中を移動して、競技場やプレスセンターに出入りする際には、報道陣にもいちいちバッグの中身をすべてさらし、チェックを受けることが義務化されていた。

 

 大会期間中の宿泊場所の選択肢は、いわゆるプレス村という選手村同様大会後にはマンションとして分譲されることが前提の部屋を数人でシェアするか、一般のホテルにするかだったが、バルセロナで最もにぎやかなランブラス通り沿いにリーズナブルなホテルが確保できたということで、そちらの個室を半月余りの根城に選んだ。

 

ランブラス通は夜も眠らない

 

 部屋に入ってみて驚いた。狭いのはまあ想定内としても、夏の盛りというのにエアコンが設置されていない。この辺りのホテルでは当たり前だと言われた。目の前は不夜城と言われ毎日夜通しにぎわう繁華街。窓を開けて眠ろうとすると、その灯りや喧噪が飛び込んできて、なかなか寝付けない。同行の後輩はとうとう耐えかねて電気店に据え置き式のエアコンを自腹で買いに行った。

 

 今回のエアコンなしの選手村騒動を聞いて、そのときのことを思い出した。現在の日本の夏の高温多湿ぶりを前提にすると、エアコンなしでのホテル生活などとても考えられないが、当時、バルセロナあたりの夏の気候は平均気温が30℃手前、湿度もそれほど高くはなく結局最後までエアコンなしで過ごした。部屋の窓を閉めることは一度もなかったが。

 

 セーヌ河畔で展開されたパリ五輪の開会式は、巷での評判は毀誉褒貶相半ばのようだが、私は断然の賞賛派。他の場所では真似のできない工夫にあふれていて、たっぷり4時間、退屈せずに楽しめた。

 

 バルセロナ五輪の開会式では、いまだに聖火の点灯セレモニーが史上最高と語り継がれる。アーチェリー選手がはるか遠くの聖火台に向けて火のついた矢を放ち、見事に聖火が燃え上がった。その瞬間のあ然、呆然、発想の見事さに覚えた感動はいまも新鮮に残っている。