「山、海へ行く」画期的発想から始まった

半世紀を経たニュータウンのいまに触れる

 

六甲山系の土砂をベルトコンベアーで海へ

 

 かかりつけの歯科医院がある神戸市営地下鉄「板宿駅」から自宅のある「西神南駅」まで、15㌔足らずの衝動ウォーキングに踏み出して、最初に景色が一変したのは地下鉄なら板宿駅から一駅目の「妙法寺駅」に近づいたあたりからだった。歩き始めて20分ほどが経っていた。

 

 目の前にそれまでの山間の細い道、昔ながらの街の景色が消え、片側何車線もある広い道路の先に背の高いマンションの一群が見えてきた。この景色もまた、神戸という町の歴史を語る上で大きな意味を持つものだ。

 

須磨ニュータウンの計画人口は約11万人

 

 目の前に海、背中には山という地理的環境を克服して新たな住宅スペースを生み出すため、神戸市は「山、海に行く」というキャッチフレーズの下、六甲山系の山を削ってその土砂で海上に埋立島を造り、削った方の山麓にも住宅地を造成するという壮大な計画に着手した。

 

 その土砂をベルトコンベアで六甲山系から海に運ぶという画期的な工法が用いられ、このベルトコンベアは1964年から2005年まで2億㎥を優に超える土砂を運び続けた。

 いま目の前に見えてきたのはその計画で造成された計画人口11万3千人の須磨ニュータウンの一角である。

 山陽新幹線のトンネルが地域の地下を貫き、新しい高速道路も次々に造られて、現在も神戸市のひとつの顔と言える地域が形成されている。

 

車はトンネルへ、人は歩いて坂を登る

 

 ただし、トンネルに吸い込まれていく県道22号線と別れて、歩行者は自力でニュータウンエリアに登っていかなくてはならない。トンネル脇の斜面に設えられた急な石段を目の前に、ちょっと一服という気にならなくもなかったが、自分に鞭打って足を進め続けた。

 

159段の段数もだが何より傾斜が急

 

 汗を流しながら登って行くと、上からは年配の住民の方がふーふー言いながら降りて来るのとすれ違う。石段の数は159段。登り切って振り返ると、さっきまで自分がいた場所がはるか下に見下ろせる。

 

登り切って振り返るとその高さが分かる

 

 ここからは急に道が平坦になり、風景の相が一変する。ニュータウンとして開発された一戸建て群、マンション群がほぼゴールまで続くことになるわけだ

ただニュータウンと呼ばれたのは50年前の話。住人の高齢化が進み、建物も建て替えが進められるほどの歳月が経った。

 

ニュータウンの中核エリア、地下鉄名谷駅

 

 そんなエリアを抜けて進むと、また別の意味で神戸の顔としての存在を担ってきたエリアに差しかかる。行程全体の半分を通り過ぎた。