神戸岡山県人会、年に一度の恒例行事

歴史の宝庫、吉備路の名所をひと周り

 

高松城址から眺める周囲の風景

 

 「神戸おかやま会」という岡山県人の懇親会があり、50人余りの会員が年会費を収め、年に一回の総会に集うほか、ゴルフ会、ウォーキング会、バス旅行などのイベントに参加して友好を温めている。

 

 ご多聞に漏れずコロナ禍の数年はその活動がストップした。昨年あたりからようやくそれも再開し、6月初めには会員の故郷、岡山県へのバス旅行が実施された。

 

 古参の会員に聞くと、かつては大型の観光バスを満席にするほどの参加者でにぎわったのだという。コロナ禍からの再開1年目となった昨年の参加者は22人。今年は29人が集まった。

 

 頭が痛いのは会費の高騰だ。かつては5000円台で運営できていたが、いまではそれも夢のような話。バスのチャーター代、昼食代、その他諸々の経費を合わせると赤字を避けるためには9000円に設定せざるを得なかった。

 

 JR神戸駅前にある湊川神社の正門前に集合してバスに乗り込み、出発したのが午前8時。今回の目的地は、いま岡山県下でも人口の流入などが目立ち、元気なエリアと言われている総社市を中心に設定した。

 

 まず向かったのは、戦国時代の16世紀後半、豊臣秀吉が「水攻め」という奇策を講じて難攻不落の城を攻略したことで知られる備中高松城址。いまや城は跡形もなく、いくつかの遺跡が残るのみだ。

 

城主清水宗治の首が収められている首塚

 

 入口近くにある資料館あたりに立って周囲を見渡すと、その立地の平坦さに驚く。城といえば山の上や高台に築かれたり、平らな場所でも石垣が積まれたりして周囲を見下ろす場所に立つイメージがあるが、備中高松城の場合は海抜5㍍という低湿地に築かれていた。

 

 聞けば比較的近年まで海だった地域らしく、近くを流れる足守川が氾濫して一帯が水没する水害は、最近では2018年のものが記憶に新しい。

 

 1582年、織田信長の命を受けて中国地方収奪に向かった羽柴秀吉は、中国地方を治めていた毛利氏とこの高松城をはさんで対峙することになる。当時の高松城主は清水宗治という毛利方の武将で、戦局は膠着して秀吉の思うようには動かなかった。

 

秀吉の陣から水に浮かぶ城を望む(イメージ)

 

 そこで水攻めという奇策を案じたのが腹心の黒田官兵衛だったと言われている。破格の報酬を示して近隣の百姓らを動員し、わずか12日間で2.7㌔に及ぶ堤防を築き上げ、足守川の水を引き込んだ。高松城はみるみるうちに湖に浮かぶ孤城となり、兵糧攻めに耐えかねた清水宗治は自らの首と引き換えに平和裏に城を明け渡すことになった。

 

 水の上に浮かべた小舟で舞を舞い、辞世の句を詠んで腹を切ったと言われている。その句碑と、宗治の首を収めてある首塚は城址の主役であり、6月の第1日曜日(命日は6月4日)には、没後440年以上が経つ現在でも、命を捨てて地域の安寧を守った英雄を偲んで宗治祭が盛大に催されている。

 

備中国分寺の五重の塔

雪舟の涙のネズミ画で知られる井山宝福寺」

 

 この高松城址を皮切りに、バス旅行は足守の宿場町、三宅酒造、備中国分寺五重の塔、雪舟が涙でネズミの画を描いた井山宝福寺と盛りだくさんなスポットを回り、夕方には神戸に帰り着いた。

 参加者の平均年齢はおそらく70代半ばあたり。別れ際には来年はどこに行こうかという話で大いに盛り上がった。