1972年、新大阪~岡山間開通直前の思い出

現在の人生の起点となった「ひかり号」試乗

 

山陽新幹線全線開業50周年のJR西ポスター

 

 安芸高田を目指して、新神戸から広島へ向かう新幹線の中で、座席に座った途端、車両前部の壁に貼られたポスターが目に入った。

 

 「1975 山陽新幹線 全線開業 50周年 2025」

 へぇ~、もう50年になるのか。

 50年前の貴重な体験が、みずみずしく頭の中によみがえった。

 

 山陽新幹線の開業は2段階で行われた。まず新大阪~岡山間が1972年3月15日に、3年後の1975年3月10日に岡山~博多間がつながり、全線での営業が始まった。

 

 その1972年3月の新大阪~岡山間での営業開始に先駆けて、関係者を招いての試乗会が行われた。当時、高校1年生だった私が、なぜかその関係者試乗のひかり号の席に座っていたのだ。

 

 当時、生まれ故郷の町でいくつかの公職に就いていた父親に届いた招待状を使っての代理試乗だった。自らの都合がつかなかったのか、あるいは小学生の頃から当時の国鉄発行の時刻表を手放せない鉄道マニアだった長男に機会を与えてやろうという親心だったのか、いまとなっては知る由もない。

 

 寄宿舎で高校生活を送っていた岡山県高梁市の備中高梁駅から伯備線の各駅停車に乗り、約1時間かけて岡山駅へ。そこで生まれたてほやほやの新幹線ホームに上がって、指定された車両の窓側の座席にひとり腰かけた。当然、詰襟の制服姿、生まれて初めて乗る新幹線だった。当然、。

 

 現在、最も早いのぞみなら45分で駆け抜ける岡山~新大阪間だが、開業当時は優に1時間以上を要していたはずだ。列車が新大阪のホームに入り、シートの向きを反対にして岡山駅に引き返すというだけの体験だったが、ちょうど新大阪駅に停車していたとき、伊丹空港に着陸しようとする飛行機がビックリするような近さ、大きさで車窓を横切っていったことは、鮮烈な記憶としていまも残っている。

 

 私にとっては生まれて初めての大阪体験。ただし、町に足を踏み入れたわけではない。このとき試乗した新幹線に乗って、大学受験のために初めて上京するのはさらに2年先のことだ。

 

 もしあのころ、自分の人生の節目にあたるタイミングで山陽新幹線が開通していなかったら。東京や大阪への受験行、その結果としての都会の大学への進学、そして故郷を離れての就職、そこからつながる現在の生活は存在していたのだろうか。

 あれからもう50年が経つのか。