生物を拒絶する超強酸性水

国策が生んだ歴史の暗部

 

宝仙湖のエメラルドグリーンの湖水は生物を寄せつけない

 

 ガンにも効能があるといわれる稀有なる秘湯、玉川温泉の歴史に「玉川毒水」というおどろおどろしい呼び名が用いられた時代があったという事実には大きなショックを受けた。

 

 グループ旅行の車の中で友人から見せられたスマホの画面の文字をざっと読んだ瞬間から、その玉川温泉を訪ねておきながら、駐車場までで引き返したことが猛烈に悔やまれた。

 

 しかし旅行の次の予定もあり、まさかいまからUターンしてくれとはとても言い出せない。結局その後悔を引きずったまま乳頭温泉の白濁の湯に浸り、翌日には秋田を後に神戸に向かうことになった。

 

そんな経緯の報告も含めて、そのときは顔を合わせることのなかった秋田在住の友人に電話をかけ、玉川温泉についてあれこれ話を交わした。

 

そこで教えられた話だけでは飽き足らず、東京に行くことがあると国会図書館に足を運んで関連する資料を読み漁ろうとした。ところが、残念ながらこちらが求めるほどの質量の資料には巡り会えなかった。

 

 そんな中で自分なりに頭の中でまとめた玉川毒水の歴史は、以下のような話になる。

こんこんと湧き出る超強酸性の温泉が下流の生物相を変える

 

 玉川温泉で湧出した豊かな量の酸性泉は、渋黒川という川に流れ込み、やがては玉川に合流する。支流の合流などもあり、水の酸性度は徐々に薄まりはするが、それでも生物が生息できるような環境には程遠い。川の中に微生物、魚類が生息できないばかりか、流域には農作物も育たない。有史以来のいわゆる死の川だったのだ。

 

 宝仙湖の異様なまでの鮮やかさのエメラルドグリーンの秘密もそこにあった。微生物がいないため透明度が高いという説もあれば、水が多量に含むアルミニウムの粒子が浮遊しており、それが波長の短い青い光を散乱させているのだという説もある。いずれにしても、車中の一同が一瞬にして魅入られたエメラルドグリーンは、生き物を寄せつけない魔の水が被った仮面だった。

 

 玉川温泉の強酸性水を導水したことで、田沢湖は一時死の湖と化した。その象徴として語られるのが国内では田沢湖にしか生息していなかったクニマスの死滅だ。記録によると1948年にはクニマスが姿を消している。

 

水質改善のために玉川ダムで堰き止められた水

 

 ではなぜそんなリスクを冒してまで玉川の水を田沢湖に導こうとしたのか。1934年、東北地方全域は歴史的な飢饉に見舞われている。戦争に向かっていく国家にとって、本来大穀倉地帯である東北の農作物に頼るところは大きい。玉川の豊かな水量を流域の灌漑に生かすことは、おそらく国家的命題であったのだろう。

 

 そこで玉川の強酸性水をいったん田沢湖に引き入れ、酸性度を希釈した上で下流に放水するという計画が導入された結果、田沢湖からはあらゆる生物が姿を消してしまった。

玉川温泉そばの道路標識が水質改善施設の存在を示す

 

  湖水の酸性度を改善するために、玉川には玉川、鎧畑というふたつのダムが建設され、いったんそこに貯めた水をアルカリ性の石灰石などを投入することによって酸性度を下げ、その水を川に戻すという試みが続けられている。

 

 そうした取り組みの効果もあって、PH(ペーハー)1.2の玉川温泉の源泉は、下流の玉川ダムでは4.9、田沢湖では5.2というレベルにまで中和されている。ただそのレベルではまだ生息できるのは酸性水への耐性をもった一定の種類の魚類、生物でしかない。