伝説だらけのバルセロナ
大谷もいま、同じ世界に
1992年バルセロナ五輪最大のスター軍団、ドリームチームの追っかけは思わぬところにもいた。試合の最中、相手チームのベンチ待機の選手が、自分のカメラを持ってコートサイドの好位置に陣取り、写真を撮るのに熱中しているのだ。
試合の勝ち負けも何もあったものではない。当然のようにドリームチームは圧倒的な強さで金メダルを獲得した。敗れたチームにあるのは、悔しさよりも、ドリームチームと肌を接して戦った満足感、高揚感だった。オリンピックの歴史を通して、こんなシーンは初めてのことだと思う。
バルセロナ五輪中、マジック・ジョンソンに近くで接する機会はなかった。それが数年後になって、日本でのスポーツイベントのゲストとして来日し、その取材を担当する機会があった。そばに立ってみると206㌢は見上げる大きさだ。通訳を通してではあったが、こちらの質問には気さくに答えてくれたことを覚えている。
そのマジック・ジョンソンがお揃いのジャッキー・ロビンソンの「42」のユニホームを着て大谷翔平の横に立っている。193㌢と206㌢。大谷が相手を見上げるような目線で話しかけるようなシーンはあまり見かけることはない。
マジック・ジョンソンは64歳になるのだそうだ。日頃、日本向けに彼の消息が伝えられることはほとんどないので、かつてと変わらない元気そうな様子が驚きであるとともにとても新鮮だった。バルセロナ五輪のころ、彼がHIVウィルスに感染しながらプレーを続けていることはよく知られていた話。そんなこともあっただけに、なおさらだったかもしれない。
自分にとって、マイケル・ジョーダンと並ぶすべてのスポーツジャンルの枠を超えたスーパースター、マジック・ジョンソンの姿に期せずして触れることができたのも大谷のおかげだと思う。
しかも画像の枠の中で、大谷はマジック・ジョンソンに引けをとらぬオーラを発出していた。彼もまた、そのレベルの選手になったのか。そういう意味でも感慨が深い。