コースの外にも残る思い出

日本人女性宅に招かれて

 

 タイガー・ウッズは4月12日(現地時間)、第1ラウンド残りの5ホールに続き、第2ラヌンドの18ホールを回って通算1オーバーの145で予選を通過した。出場した24大会連続の予選通過は大会記録。

 右足の状態を考えると、1日23ホールの長丁場に持ちこたえられるのかどうか、ハラハラさせられたが、さすがオーガスタのマスター。マスターズで予選落ちをしたことがないという記録も守ってみせた。

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 32年前(1992年)に取材で訪れた一度きりのマスターズに出場していた日本人選手は尾崎将司と中島常幸のふたりだったが、この年は揃って予選落ちした。

優勝したのはフレッド・カプルス(米国)。その前の年まで4年連続でヨーロッパ勢に屈していたアメリカに栄冠を取り戻す優勝で、最終日の18番ホール、コースを埋めたパトロンの「フレディ、フレディ…」という大合唱は、この大会のハイライトだった。

その思い出と並んで、コースを離れたオーガスタの町に、いまも忘れられない経験を残してきた。現地で暮らす日本人女性の自宅に招かれ、夕食をごちそうになったことだ。

その女性は神奈川県出身で、横須賀基地に勤務していたアメリカ人と結婚し、オーガスタにある米軍基地に転属になった夫とともに海を渡った。オーガスタには同じような経緯をたどって暮らしている日本人女性が何人かいるのだと教えられた。

夫に先立たれ、子供も手元を離れてオーガスタの住宅街にある自宅で独り暮らしをする彼女は、マスターズの時期になるとオーガスタにやって来る日本人のゴルフ記者にホテル代わりに部屋を貸したり、記者を自宅に招いて食事を振舞うことを楽しみにしていた。

 現地には日本料理の店や中華料理の店があり、滞在中の食事に不自由することはなかったが、アメリカ風の住宅に招かれて、床にカーペットを敷いて設えられた座卓で彼女の思い出話を聞きながらいただく心づくしの料理の味は格別だった。

 その日に合わせて、現地で手に入る限りの日本の食材がテーブルを埋めている。特に驚いたのは、サンマの開きに大根おろしを添えたものと、納豆。納豆はスーパーに行けば普通に手に入るそうだが、サンマの開きについては、少々苦労したと笑っておられたのが懐かしいい。

渡米後20年間、日本に里帰りすることもできなかったという彼女にとっても、それは毎年4月になるとやって来る、故郷を思い出すための貴重な1週間だったのかもしれない。