かつての遊郭の臭い残し

登録有形文化財としての今

 

大阪飛田新地の料亭「鯛よし百番」の玄関

 

 大阪市西成区にある「飛田新地」といえば、特に男性の方で名前を聞いたことのない人はいないと思う。大正時代から昭和にかけて、日本最大の遊郭として栄えたエリア。1958年の売春防止法以降、形は変わったが現在も一大風俗地帯としてその名を馳せる。

 その一角に「鯛よし百番」という料亭がある。周辺にはかつての遊郭が名前を変えただけのいわゆる料亭が脈々と生き続けているが、かつて遊郭として栄えたこの「鯛よし百番」は、現在はれっきとした和風の料理店。築100年になる建物は、大正時代の文化を残す建築物として、2000年には登録有形文化財に指定された。

                   

      登録有形文化財に指定された大正ロマンの遺産

 

 私が初めてこの飛田新地を訪れ、「鯛よし百番」の玄関をくぐったのは10年ほど前のことだった。「さいごの色街 飛田」という著書で知られるルポライターの井上理津子さんをお招きしての席だった。

 井上さんと合流する前、参加者の男性数人で料亭街、すなわち風俗ストリートをぶらぶらと見て回った。店の玄関はたいてい大きく開け放たれ、外からものぞける上がり框には、洋装、和装、それぞれに派手に着飾った女性がじっと正座してこちらを向いていた。その姿は煌々とライトで照らされ、文字通り光り輝くかのよう。かつての遊郭の格子窓、いわばショーウィンドーのようなものだ。

 女性同伴での見物気分の冷やかしは厳禁、スマホなどでの写真撮影はご法度と、案内役の知人からは厳に申し渡されていた。一軒々々、遠くから女性の姿をのぞきこむように眺めながら緊張した心持ちで数知れぬ料亭の前を通り過ぎ、「鯛よし百番」の前に戻ったときは何かホッとしたことを覚えている。

 「鯛よし百番」で料理をいただきながら聞いた井上さんの話はなかなか壮絶だった。取材を志し、初めてそのエリアに足を踏み入れたときは「ここは女の来るところやない!」と怒鳴りつけられ、追い返された。それから10年余り、コツコツと足を運ぶ中で心を開いて話してくれる経営者、店の女性などもでき、ようやく一冊の本にまとめあげることができたのだという。

 

   

 およそ10年ぶりに訪ねる「鯛よし百番」。サンテレビ時代に交流のあった近畿エリアのテレビ局トップとの3人での交流がいまも続いていて、2カ月に一度ほどのペースで幹事持ち回りで飲み会を開く。今回は京都からの女性ゲストを加えた4人での宴席だった。風俗エリアとは完全に一線を画した時間の中で、「鯛よし百番」は、前回とは

まったく違う文化遺産としての魅力を存分に見せてくれた。