オールナイト5本立て上映

懐かしの名画座を訪ねると

 

祇園会館そのものは50年前と変わっていなかったが…

 

 デイリースポーツ、サンテレビというかつての仕事柄を考えると恥ずかしい話なのだが、久しぶりに訪れた京都で時間つぶしに祇園界隈をぶらぶらしているとき、え?と思わず看板を見直した。こんなところに「よしもと」!?

 その日、懐かしさもあって目指したのは祇園会館だった。高校を卒業し、浪人することになって京都の予備校に入学、一年間を過ごした。1974年、ちょうど50年前のことだ。

 親に言えた話ではないが、予備校の授業をさぼっては河原町界隈に繰り出し、むさぼるように映画を観た。特に土曜日の夜はこの祇園会館で朝まで過ごすのが定番。マニアに人気の名画座で、土曜夜のオールナイト興行は名画の5本立て。作品のチョイスが映画好きの心をくすぐった。

チャップリンもフェリーニも、祇園会館の座席で起きているのか寝ているのかわからないような状態で観た。「仁義なき戦い」シリーズなど、5本を堪能して明るくなった外に出ると、歩き方まで変わっていたのではないだろうか。

その祇園会館はいまどうなっているのだろうか、とふと思い立ち、足を向けたのだ。

建物は50年前と変わっていなかった。当時のままと言っていいかもしれない。

ところが玄関に掲げられた大看板には「よしもと祇園花月」とある。

 「よしもと?」

自分の認識では京都の吉本興業の定席「京都花月」があったのは祇園会館からは鴨川を西に渡ったとことにある新京極だった。

タイムマシンに取り残されたような気分になってスマホを取り出し、調べてみると新京極の「京都花月」は1987年には閉館となっているではないか。その後2011年ごろからはこの祇園会館が新たな舞台となっていることを遅まきながら認知した。

 自分ながらいい加減な話に穴があったら入りたい気になった。かつての仕事柄というだけでなく、吉本興業と自分の人生の関わりは浅くない。大学卒業を前にした1978年、デイリースポーツと併願の形で入社試験を受けたのが吉本興業だったのだ。