初対面の凸渓作品がLINEに

母校の先輩からの贈り物

知人から送られてきた屏風の中の凸渓作品

 

 自分自身の68回目の誕生日だった3月24日にアップした「幕末絵師のDNA」には、午前7時の公開早々、知り合いからの「お誕生日おめでとう」のメッセージがLINEやメールアドレスに届いた。

 その中に一枚の日本画を写した写真があり「ご先祖様の描かれた画だと思います」とのメッセージが添えられていた。胸に何かを抱いて空を見上げる一匹の猿。その横には確かに「凸渓」という私の父方の曾祖父、間野凸渓の雅号がしたためられている。

そのメッセージの主は、私の母校である岡山県立高梁高等学校の先輩の女性で、高校の同窓会関西支部の幹事会で初めてお目にかかった。いつも熱心にブログを読んでくれていて、折りに触れてメッセージがLINEに届く。

24日の朝も「凸渓」のブログを読んだ途端、祖父が所蔵していた屏風に残されていた画にあった名前ではないかと直感し、写真を探し出してくれたというのだ。

その方の祖父というのは、川上豊太郎さんといって錺(かざり)金具製作技術保持者として高梁市の無形文化財第1号に選ばれた工芸作家。その川上豊太郎さんが所蔵していた屏風の中に凸渓の猿の画も飾られていたのだった。その屏風はいま高梁市歴史美術館に寄贈され、保管庫に眠っているのだという。

私自身、初めて目にする曾祖父の作品の存在に目を丸くした。昨年、彼のDNAを受け継ぐ孫たちを連れて高梁市歴史美術館を訪れたときの展示作品の中にはその屏風はなかった。それがまさかこういう形で、しかもよちよちと始めたばかりのブログをきっかけにして…。

持つべきものは人の縁。

キーボードをたたき続けるエネルギーをいただいた。