訪れたマイペースの日常

穏やかな平松さんの今

平松さんのアトリエ。過酷な仕事場だ(2022年4月)

 

 鳥山明さん急死の報に接したとき、まず頭に浮かんだのは高校の同級生である漫画家、平松伸二さんから聞かされた売れっ子漫画家が課せられる苛烈な仕事ぶりだった。

 鳥山さんが少年ジャンプで「DR.スランプ」の連載を開始したのが1980年。1984年8月には終了しているが、その11月には息つく間もなく「ドラゴンボール」が始まり、そこから10年以上も少年ジャンプの看板を背負い続けた。

 並行してテレビアニメが大人気を博し、ゲームシリーズの「ドラゴンクエスト」のキャラクターづくりも担当していたわけだから、その忙しさたるや想像を絶するものだったことだろう。そんな状態での40年余りの生活を思うと、心身にかかった負担は大変なものだったに違いない。

 鳥山さんの訃報をめぐってのやりとりの中で、平松さんは同い年の鳥山さんに対する賛辞を惜しまなかった。

 「世界中の人々が残念に思っていて、楽しませてくれた作品に感謝していて、改めて偉大な漫画家だと感心した」

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 われらが平松伸二さんは、この年にしてようやくマイペースでの生活を手に暮らしている。2022年に自宅を訪れ、ご夫婦と食事を楽しんだ時にも、穏やかな暮らしぶりが伝わってきた。

 連載は月刊誌への一本。その他に単行本で漫画化した自叙伝を発行したり、イラストに自筆の毛筆書を重ねた作品を発表したり、高校時代からの趣味である格闘技の世界にもどっぷり浸っている。

 最近では平松さんのアトリエを訪ねて来る外国人観光客が跡を絶たないことがご本人のフェイスブックで紹介されている。日本の漫画家の仕事の現場を見てみたいということらしく、海外での日本アニメブームの影響を感じさせる話。静かな住宅街に突然観光名所が出現したようなにぎやかさらしい。

 彼の生活をここまで支えてきた奥さんはペンネームを安江うにという漫画原作者だ。一般的な家庭生活からはかけ離れたところもある日常をうまくやりくりしてこられた陰には、この奥さんの存在が欠かせなかったことは間違いない。

 故郷の岡山県高梁市への帰省も含め、あちこちへの旅行もふたりで楽しんでいる様子を見るにつけ、どうか体を大切に末永く活躍されることを同級生のひとりとして願ってやまない。

(この項おわり)