締め切りとは苦しみのみ

身を削り、命を削り

京成柴又駅の平松伸二さん作啓発ポスター(2022年4月当時)

 

 平松さんと待ち合わせたのは京成電車の柴又駅。彼は映画「男はつらいよ」シリーズでおなじみの葛飾柴又に住んでいる。駅のあちこちに貼られた様々な啓発ポスターを見ると、ひと目で平松さんの手によるものであることがわかった。

 駅から歩いて5分余り。江戸川にほど近い住宅街の中にひと際目立つミント色の大きな家があった。一般的な家と少し違っていたのは、門を入ると1階玄関へのアプローチとは別に、直接2階に上がる外階段があって、2階の玄関につながっていること。その先に関係者やアシスタントが出入りするアトリエがあった。

 アトリエに入ると、そこは勝手にイメージしていた雰囲気とは様子の違ういわゆる仕事場の雰囲気が溢れていた。平松さん自身の大きな仕事机に、アシスタント用の仕事机が数台。それぞれの机上にパソコンがあるのがいまどきだと感じた。周辺の壁は本棚で囲まれ、資料と思しき書籍や紙類がぎっしり詰まっている。

 そのアトリエこそ、こちらが勝手に想像していた華やかな世界の裏にある過酷な現場そのものだということを平松さんの話で思い知った。

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 連載を持つということは漫画家にとって大きなステータスである反面、締め切りという姿のない魔物に追われることになる。連載開始当時、「ドーベルマン刑事」は1週20㌻で2回完結のスタイルをとっていたそうだが、1回完結を望む声が読者の間では強く、1週30㌻がノルマになったそうだ。それまでの1.5倍の原稿を、毎週仕上げなければならない。

 「締め切りは苦しみでしかなかった。毎週、30枚の真っ白なケント紙の束を前にしたときの気の重さといったら…」と振り返る。

 外出する間も、遊ぶ間も、息抜きも、時には寝る間すらない生活の繰り返し。1年52週、一度の休みもなく。

 その話を聞かされたとき、私が「せめてもの幸いだったね」と平松さんに言ったのは、彼がアルコールを一滴も口にしないということだった。もしその憂さ晴らしを酒に求めていたら、命などいくつあっても足りないところだっただろう。

 その代わりというか、煙草は吸いまくったそうだ。ピーク時には毎日7箱を灰にしていたとか。さらに一日中椅子に座ったままの生活が続くうちに重度のギックリ腰にも悩まされるようになった。

 まさに身を削り、命を削るような時間の先にしか、金字塔を手にすることはできなかったのだ。

(この項つづく)