平松伸二さんのアトリエにて

知らされた漫画家稼業の過酷

 

高校の同窓会だよりに寄稿してくれた平松伸二さん直筆のイラスト

 

 「ドーベルマン刑事、東スポに大きく出てたよ」

 高校時代の同級生から連絡があったのは3月9日朝のことだった。「ドーベルマン刑事」とは、少年ジャンプに連載されて一世を風靡した漫画家、平松伸二さんの代表作。平松さんも同じ高校の同窓生である。

 確認すると、東スポを見たのは数日前のことだというので、東スポWEBの方で検索してみると、前後編に分かれたロングインタビューが、平松さんの近影数点とともに掲載されていた。

 世界中を驚かせた「鳥山明さん急死」の一報がもたらされたのが奇しくも前日のことだった。鳥山さんも1955年生まれ。平松さんや私と同い年で、平松さんとは少年ジャンプでのデビューという縁もある。

 68歳での急逝という訃報に接して、鳥山さんのふだんの健康状態がどうだったのかなど、何もわからないままながら、平松さんから詳しく聞かされたことのある漫画家という職業の苛烈な日常について、思いをはせるきっかけとなった。

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 平松さんと高校を卒業して以来、48年ぶりの再会が果たせたのは2022年4月のことだった。私が編集を担当している高校の学年同窓会報に、平松さんが描きおろしのイラストを提供してくれたことに対するお礼を伝えるため、上京のついでに自宅を訪ねたのだ。

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 私たちの母校は岡山県立高梁高等学校といい、雲海の山城として人気の備中松山城で知られる高梁市にある。在学中から漫画一徹だった平松さんは、中学時代から漫画賞に応募していて、高校一年生のときに野球漫画「勝負」が少年ジャンプに掲載され、漫画家としてデビュー。スカウトされる形で卒業と同時に上京した。「アストロ球団」の中島徳博さんの元でアシスタントとしてプロの修業を積んだ後、1975年、20歳のときに「ドーベルマン刑事」の連載がスタートした。その後も「ブラック・エンジェルズ」などのヒット作を生み、現在も漫画誌「コミック乱」(リイド社)に「大江戸ブラック・エンジェルズ」を連載している。

 自分たちがまだ親のすねかじりの大学時代、たまに同窓生が集まると漫画界の第一線を走る平松さんの話題になった。「単行本の発行部数が100万部を超えたらしい」とか、「深作欣二と千葉真一で映画になるらしい」とか、「いったいいくら稼いでいるんだろう」とか。 当時の平松さんは文字通り別世界のスター、同窓生の星だったのだ。

(この項つづく)