沖縄を初めて訪れたのは1980年11月のことだ。デイリースポーツのトラ番(プロ野球阪神タイガース担当)記者としての出張だった。

 直前のプロ野球ドラフト会議で沖縄・興南高校の大型内野手、渡真利克則選手がタイガースから2位で指名された。このときはチームメイトの金城博和外野手も日本ハムから2位指名を受けており、興南周辺は大騒ぎだった。

 いまでこそ多くの球団が春季キャンプを張る沖縄だが、先鞭をつけた日本ハムがチーム全体でのキャンプを名護市に持ち込んだのは1981年のこと。現在とではプロ野球との距離感が違う時代だった。

 その出張の目的は、タイガースのスカウトが渡真利選手を指名の挨拶に訪れるのに同行し、取材することだった。学校での挨拶の後、渡真利選手と金城選手を近くの海岸に連れ出し、東シナ海を背景にふたりがバットを振る姿で翌日の紙面用の写真を作ったのを覚えている。

 出張は一泊。夕食に出かける段になってトラ番の他紙の先輩記者から「せっかくの沖縄やから、今夜はステーキや。沖縄で一番古い店やで」と誘われてついて行ったのが「ジャッキーステーキハウス」だった。

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 1月下旬に友人と4人で沖縄に二泊三日で出かけることになった。特別な目的はなく、レンタカーで島内を回り、観光地を巡って昼、夜と沖縄を食べ尽くし、飲み尽くそうというだけ。行き先選びはメンバーの中では渡航歴が圧倒的に多いからと一任されていた。

 沖縄入りすると空港から「ジャッキーステーキハウス」に直行し、最初のランチを堪能するというのが20回以上重ねた自分なりの定番になっている。もちろん、今回も躊躇はなかった。

 11時開店の店に着いたのは11時半ごろ。すでに10組以上の入店待ちの行列ができていた。小一時間待って店内へ案内される。1953年開業の店は2001年に現在の場所に移転しているのだが、店内の様子は移転前とまったく変わらない。ベンチ式のテーブル席、壁いっぱいの白いプラスチック板に手書きされたメニュー、そのメニューの中身も43年前のままだ。

 4人それぞれの好みのサイズのテンダーロインとニューヨーク(サーロイン)ステーキセットを頼んだ。焼き加減はミディアムレアで。セットの中身もまったく変わっていない。ポタージュスープ、ミニサラダ、パンかライスのチョイス。たださすがに価格は少し高くなった。250㌘のLサイズでテンダーロインは3800円、ニューヨークは2700円のセット価格になっている。

 肉はもちろんアメリカンビーフ。脂身の少ない赤身肉がいかにもステーキを食べている感じにさせてくれる。鉄板に乗せ、ジュージュー音を立てているステーキを運んで来るスタッフの決まり文句。「最初は何もつけずに食べてみてください。次に塩こしょう、ソースをお好みで」。

 個人的には「No.1ステーキソース」が一番。濃厚、スパイシーかつフルーティーでガツンとくる肉の味をしっかり生かす強さがある。ちなみにこのソースは自宅のある神戸市西区のすぐ隣、明石市にあるソース屋さんのものと知って驚いた。

 いつものことながら、空港に着いて最初に「ジャッキー」のステーキを食べることで、気分も胃袋もガラッと沖縄モードに染まる。

 外へ出ると20℃の陽気。全員が一枚上着を脱いで車に戻った。