斜面になった岩の上に陣取ってからも、後から後から石段を登って白装束の参加者が押し寄せてきた。石段から社に続く参道は満杯になり、斜面も白装束で埋め尽くされて鳥居の山門が閉じられた(翌日の報道によると参加者は約1500人)。

 ただし松明の点火までにはまだ1時間。腰を下ろした岩から沁み上がってくる氷のような冷たさに歯の根が合わなくなってきた、その時だった。

 山下りの先陣をものにしようと押し合いへし合いの状態だった眼下の参道で、大きな怒声が上がった。「おらーっ」と大声を上げながら、若者のグループがもみ合いを始めた。引き留めようとする仲間もいるが、その頭越しに相手のグループに飛びかかろうとする者もいて、収まりがつかない。

 そのうち、手にした松明を大上段に振りかぶって相手の頭に打ちつける者も出て来て、叩かれた方は額から血を流しながらやり返そうとする大騒ぎに。

 思わず立ち上がり、寒さを忘れて見入っていると、隣にいた同じグループのベテランは「これもまた恒例行事。松明もああやって殴りつけているうちは、薄い板のことだから致命的なケガにはならないよ」と冷静に評論している。

 いったん収まったと思ったらまた騒ぎが始まり…延々と繰り返していると神火をいただく執行役のグループが最後に石段を登って来た。本殿の大松明に火をつけるべく奥に進んで行く。このときばかりは道があけられ、あたりが静寂に包まれた。

 それから待つこと小1時間、奥の本殿の辺りが明るくなり、大松明に点火されたわかるとあたりが再び沸き返った。執行役が携えて山を下ろうとする神火に、われ先にと襲いかかるようにして松明を持った群衆が詰め寄っていく。

 午後8時、閉ざされていた山門が開けられると、火のついた松明をかざした参加者が、先を競って下りの石段に殺到していく。まるで火の川が流れ下っていくがごとき勢いに圧倒される。

 少し間を置いて、危険な密集は一段落したと判断したグループのリーダーから「ぼちぼち行こうか」と合図が下った。神火を移した松明のカンナ屑があちこちで火の手を上げている。その火の勢いたるや、白装束に燃え移って地面を転げ回る者もいるほどだ。

 煙にむせ、のどが焼けないように口を掌で覆いながら、そこに自らの松明をかざす。火が移ったことを確認すると、斜面を下って大混雑の参道に降り戻った。

 千を超す松明の群れが、押し合いへし合いしながら山を下っていく。頭上は燃え盛る松明が林のように密集した状態で、火の粉ばかりか、燃えちぎれた板の切れ端が頭の上から降りかかってくる。

 「わっしょい、わっしょい」という掛け声は登りと同じだが、大きな違いは松明のおかげで足元がほの明るいことだ。それでも一段ずつ、確かめるように足を運びなが

新宮市観光協会ホームページから

ら538段を下り終えた。

 頭と顔はタオルを巻いて守ったが、白装束のあちこちには焼け焦げができている。先を競って下って行った人たちは、大切な神火をわが家の神棚に移すべく一目散で家路をたどったのだろうか。

 鳥居を出ると、そこから先に入ることを禁じられていた女性が男たちの帰りを待ち受けて人垣を作っていた。すき間のような細い通り道を残して左右それぞれに五重、六重の人垣ができている。

 「お帰りなさい」「お疲れさま」。誰彼なしにかけられる言葉がなんとも心地よい。その人垣が絶えるまで、100㍍ほども歩いただろうか。この小さな町のどこからこれだけの女性が…とただ驚くばかり。

 グループの打ち上げ会場まで、ボーッとした状態で15分ほど歩いた。薄暗い街頭に照らされ、ほとんど人影もなくなった町に昼間の高揚感はない。

 祭りの後の寂しさは…50年も前の吉田拓郎の歌の世界を初めて実感した気になった。