祭りの舞台、神倉神社参道入口の鳥居。538段の石段が続く

 歩き出してすぐ、足周りの痛みに襲われた。寒さ対策でまず五本指のソックスを履き、その上から底に滑り止めのゴムを張った白足袋を重ね、荒っぽく編まれたわらじに足を収めて足首に縛りつけている。足の裏や指の間に当たるゴツゴツした縄の結び目が、一歩踏み出す度に痛みを生み出すのだ。

 いまから一体どれだけ歩くことになるのか、しかも538段の急な石段を登って降りて…。フルマラソンを走る前でもこんな不安に苛まれることはなかった。

 まずは市内の阿須賀神社、熊野速玉大社など数カ所の神社を巡って手を合わせ、無事を祈った。途中、同じ格好した無数の参加者とすれ違う。その際には松明を掲げ、すれ違う人も同様に掲げた松明同士を「頼むで~」と声をかけ合いながらガチャンとぶつけ合うのが習わしだ。

 松明は1.5㍍ほどの長さで、本体は1㌢足らずの板材を五角形に組み合わせて作られている。持ち手の辺りは細く、先に行くに従って太くなる形。先端部分には本体と同じくらいの長さの薄く細いカンナ屑が人間の髪の毛のようにびっしり巻き付けられ、垂れ下がっている。クライマックスでは着火剤のような役目を果たすらしい。

 あいさつ代わりに松明の本体をぶつけあう度、カンナ屑がちぎれて落ち、道に散らばる。この日の新宮の町中には、この無数の木屑が真冬の風に煽られていたる所で舞っていた。

 途中、数えきれないほどの民家、商店で玄関先に小さなテーブルを出して小さな紙コップに入れた日本酒を白装束の参加者に振る舞っている。未成年の飲酒を助長す恐れもあるということで、いまはあまり推奨はされていない。実際、調子に乗ってこの振る舞い酒を煽っていると、神社の石段の麓に着くころには、足元がおぼつかなくなっていること請け合いだ。

 火をつけた松明の山下りが始まるのが午後8時。石段の登り口にある鳥居に着いたのは午後6時過ぎだった。あたりはすっかり暗くなり、強い風も吹き始めて、昼間の暖かさはすっかりどこかへ消えていた。

 白装束の群れが狭く急な石段を埋め、「わっしょい」の掛け声とともに山上の社を目指す。

 最初の石段に足をかけようとした時点で想像していた以上の難行であることがわかった。神倉神社の538段の石段は、源頼朝の寄進によるものと伝えられている。800年以上も昔の話だ。鎌倉積みという技法で積み上げられている。一歩足を出せば、不揃いな大きさ、形の石が一見無造作に積まれているようにしか思えないが、そこには歩く人間の体のバランスを考えた計算が込められているのだという。

 ただ、灯りひとつない暗闇の中ではそれはお題目に過ぎず、ただの危ない石段としか思えない。しかも幅2㍍ほどのこの石段を左側に踏み外すと、そこに待つのは岩の絶壁。それも真っ暗闇では目に入らないのだが…。

 わらじを履いた足を目の前の石に乗せ、体重をかけて体を持ち上げようとすると、不揃いな形の石の凹凸、表面の傾斜にバランスを崩され、倒れそうになる。万が一のときに手で体を支えようにも片方の手は松明で塞がっている。冷や汗も含めてすぐに汗びっしょりになった。

 登ること約30分、ようやく石段が尽き、山上の社に近い鳥居をくぐったところで、グループのメンバーには「社の方には進まず、右手の岩の斜面を登って、傾斜に腰を下ろして待機するように」との指示が伝えられた。