絶望は絶えない
世の幸福を煽る風潮が嫌でたまりません。どいうわけか幸福になろうとする人が多い。
こんな話をよく耳にする。人生辛いことがほとんどで楽しいことなんてほんのわずかだと。
人生の本質を知らない人でも生きていれば薄々そのことに気がつくようだ。幸福とは盲目
つまり本質(この世の不条理)を見ようとしない怠慢から生じる幻想にすぎない。そのことに
気づいている人は、どれだけいるだろう?生まれさせられて、すぐに死んでいかなきゃならない
この背筋も凍るほどの恐ろしい真理を知らぬまま一生を終える人もいるだろう。そういう人たちは
基本的に真摯にこの問題に取り組もうとなどしない。世界一般の事象に忙しく生きて、死んでいく
のだろう。一見これは幸福になる条件を満たしているようだが、かれらも、無数の困難にぶつかる
たびに絶望し、人生の意味、自分の存在、そして人生は生きるに値するかどうか思い悩む。誰でも
絶望して当然なのである。それならいっそこう考えてみてはどうだろう。あなたが今生きている(歩い
ている)人生という名の道は不幸という材料のもとにできている道路。そして幸福でできている空がある
下をみれば不幸、下を見なければ幸福、こう考えてみてはどうでしょうか?すぐに覚めてしまう幸福
を手に入れようと望むのではなく、はじめから不幸を受け入れてしまう考え方です。どうですかね?
(^ε^)♪ではまた☆彡
はぁ。。。
前回の発言以来のコメントですが、ずいぶんイルな流れになってきたので調子にのって
今回は絶望について、o(^-^)o皆さん絶望することあります?私はしょっちゅう絶望しています。
この世の不幸なことといったら、本当にすくいようがありません。だけど私は死にません。
とりあえず今は。なにか自分固有の精神世界においてのみ筋の通った目的が見つかるかもしれない
と、思っているあいだは死にません。森羅万象のさまざまの事物はどうでもいいのです。自分を取り巻く
この世界はこの主観、この意識においては二義的なものでしかありません。だからこそそこには、夢がある
と感じてしまいます。一種の賭けでしょうか?(`∀´)わかりませんが(笑)とにかくこれからも納得がいくまで
思索にふけることでしょう。逆説的ではありますが、これが生きる救いかもしれません。
社会は生産活動において一個人の尊厳などは考えてくれません。しかしこれを今読んでるあなたの意識
つまり思想までは犯されないでしょう。守られているんです。自由なんです。素敵ですよねo(^-^)oほんとうに。
今回も勝手な発言になってしまいましたね(笑)ブログのテーマ変えようかな?(-。-;)
勝手な発言
(=⌒▽⌒=)ていうか、勝手なこと言わせてもらいますけど、結局人って中間的存在でしかないですよね。
私はかつて、大金を手にすればきっと幸せになれると、信じていたいたので、手っ取り早く金を
つくりました。(犯罪ギリギリで)その金を享楽的に数年かけてあっという間に散財してしまいました。
まさにEASY COME EASY GOですね。そのときは、まだ十代でしたので、若い私はクイックキャッシュ
とヤングネスで多くの女性と関係をもちました。しかし望んで手に入れたものに飽きはじめ、ついには絶望
に至り、どうしてか遊んで暮らしていても虚無感を拭い去ることができませんでした。きっと私たち人間が
切望する、夢、目標なんてものは、達成されてしまえば、食べてしまった食事のように、日常になるんだと
思います。若いころは金や、名声、異性関係が自分に幸福をもたらすと信じていた私ですが、それら自体に
は何の力も無かったことに気づいた時には私はひどく落ち込みました。生きる気力を失いました。そして生きる意味
を問いはじめました。哲学書を読み漁りました。不思議と心の乾きが潤いました。本当です。
そしてひとは生きていれば美しい物にも心引かれるでしょう、しかしその美も永遠ではありません。
美しいものほどもろく儚いのです。そしてたとえそれらを手に入れたところで、恐ろしいほどの日常が私たちを
まっているのです。だれかこの真理を否定できますか?(笑)( ̄▽+ ̄*)

