アイドルヲタは彼女が居ないとまことしやかに囁かれているし、中には「彼女がいないからアイドルヲタになった。彼女が出来たら他界して彼女一筋になる」というヲタは結構います。
ヲタの愛情って凄まじいです。ライブをやれば仕事に都合をつけてなるべく全部応援に行くし、自分以外のヲタが居なくても必死に声を張り上げて推しのステージを盛り上げます。推しを象徴するグッズで身を固めて、また自らグッズを作ったりします。
ライブがない日もTwitterをこまめにチェックしアイドルの告知を拡散して、自分も告知用の画像と文書を作り、何気ない呟きに反応し、配信番組ではコメントに勤しみ、有料のアイテムを投げて、アイドルが投票制のオーディションに出場すれば1時間に1回投票を行います。
師匠は僕がアイドルのアの字も知らないヒヨッコ弟子だった頃に「アイドルヲタを極めた人の中には客としてお金を払いながら運営業務の一端のような事を行なっている人もいる」と言ってました。上記のような人のことだと思います。自分も仕事してるわけですから、もうアイドルとどっちが忙しいのかいい勝負です。
自分を自分、または第三者にプロデュースされて売り出す業務形態のアイドルやタレントは、アイドルとしての自分を商品として商売しています。
ステージで笑顔を見せる彼女たちの輝き、 そんな彼女たちを応援したい、不安を払拭してあげたい、その笑顔よ永遠に曇ることなかれ、という願いを叶えるために我々は己の時間と資金を投資し、自分の願いを叶えています。
恋愛禁止を謳っているアイドルがスキャンダルですっぱ抜かれたときに絶望し身を翻して批判をするヲタは、投資した商品に約束されているはずの保証や機能が付いていなかったようなものなので、消費者として見れば当然の権利、ある種正しい反応です。推しのために!とやっていることは利他的に見えて、ヲタの利己的な欲求に基づいています。師匠も前にブログで似たようなことを書いていましたが、僕もその考え方に賛同できます。
これが一般的な男女交際の間柄になると勝手が少し違ってきます。お互いの熱量がすれ違うと破局の一因になるからです。
僕の彼女は正社員ではないので生計を成り立たせている要素にボーナスというものがない上に、時給制の仕事は仕事時間と生活の質が比例するものです。僕がどんなに会いたくても、僕のことをどんなに好いてくれていても四六時中僕ばかり構っていたら生活基盤が崩壊してしまう。いい大人としてそれがわかりながら「きみきみ、もっと構ってくれたまへ」なんて言えません。
かと言って、構って欲しいという想いは消えないのです。あまり抱え込むと辛くなってしまいます。どこかでそれを発散しなければやっていけません。そんな重くて想いものを笑顔で受け取ってくれるアイドルはありがたーい存在なわけです。
勿論、それは応援する理由の一面であって全てではないですがつったんが居なければ僕は早々に暴走して振られていたか、もしくは彼女を疲れさせていたと思います。
僕は彼女と付き合い始めてそろそろ1年くらい経つわけですが、我々が顔を合わせるのは月に2回なので単純計算で22回。1ヶ月分にも満たない回数です。
先日、大学の友人たちとお酒を飲んでいる時に酔ったせいかふっとそんな事を考え友人(♀)にこの話をしたところ「もっと会いたいって言われたら絶対嬉しいよ!おぐりんから積極的に言わないとダメだよ!」と言われました。迷った結果、たまにはいいか、と連絡してみたら「丁度同タイミングで友達にも飲みに誘われたから3人一緒でもいい?」という返事があり終電くらいの時間から僕は彼女とその友達と飲むことになったのです。
彼女の友達というのがミスチルの歌がべらぼうに上手く、話が上手くてとても面白く、よく笑い、自然体で接してくれるから居心地がいいという、僕の正反対を地で行くナイスガイ。仮にミッキーとしましょう。話していて初対面の僕も楽しかったし、彼女もとても楽しそうでした。
話の中で彼女は「ミッキーは真っ黒だけど、1年付き合ってもおぐりんの黒いところが見えない。興味本位で黒いところがみたい。清廉潔白な人間などいないはずなのに!」とミッキーに話していました。彼女は性悪説を信じているようです。またはワルに憧れる乙女心でしょうか。今度信号無視しながら空き缶をポイ捨てしてみようかな。
僕が良い人に思えるのは彼女と会える日が最高に機嫌がいいからです。1年付き合っていると言っても僕らまだ20回くらいしか会ってないし、会える日はとても嬉しいのです。
ミッキーのように人間的な魅力でカバーできる人ならともかく、なんの面白みもない僕のような人がたった月2回の逢瀬で黒いところ見せまくったりしたらどうなったものかわかりません。わざわざ見せるものでもないしな。
ミッキーは初対面の人間相手にも素の自分で接することが出来るコミュ力の塊みたいな人です。自分が悪いことをしたことも気持ち悪がられるようなことも平然と話すし、やります。それでも嫌味が感じられないから憎めないところなんかが師匠にそっくりです。
彼女も僕と会っているときより自然体だった気がするし、何より酔っているとは言え、最初は「友達とだとこんな時間から突発で会えるのか...」なんて思って少しだけいじけていた人見知りの僕が初対面の相手と始発の時間まで話通したのがいい証拠です。あそこまであっけらかんと素を出されると警戒心がなくなるのでしょう。普段僕には見せないような顔で笑っている彼女、話す彼女はとても可愛かったです。
僕は付き合ってから感じたことのない嫉妬心を自覚しました。嫉妬するということは好きだってことです。綺麗汚い問わず、強い感情は行動の原動力になります。
目線を変えることによって発想は変わります。自分の悪感情を手玉にとってコントロールする術は師匠から最初に習ったことです。師匠は覚えていないかもしれませんが、僕が弟子になった理由です。僕は師匠と行動を共にし、語らうことで普段の自分以外の目線を視界の片隅に常に置けるようになりました。彼女が男友達に向けて僕の知らない素敵な笑顔を向けているのを見て、僕は悔しい反面、今度から定期的にミッキーと3人で飲めばあの顔を見られるのか、とお得な気持ちになりました。ひと昔前の僕なら嫉妬心に狂っていたと思います。本当に土壇場で役に立つのが師匠の教えです。師事してよかった。
この嫉妬心を原動力として何をどう動かそう。今僕はそれを考えながら、ガス抜きがてらブログに認め、さらなるガス抜きのためにライブの予定を頭で組み立てています。
同じ轍は踏みません。今の僕には師匠とつったんがいるのです、本当に友達は尊い存在です。