3シーズン目を迎えたBAAは、シーズン開幕前に大きな変化を受けた。

ライバルリーグとして存在していたNBLから、Minneapolis Lakers(現在のLAL)を含む4チームが加入した。チーム数が12チームになったことも大きいが、このLakersはこの年のNBL王者であり、ジョージ・マイカンというスターを擁していた。


初代スーパースターとも呼ばれるマイカンが率いたLakersは高い得点力を誇るチームであり、マイカンはNBLともう1つの別リーグの2リーグで得点王だった。同じくNBLから加入したRochester Royals(現在のSAC)も高い得点力を持つチームで、これによりリーグ平均得点は80得点を超えた。前年から実に7.3得点も上昇している。FG%も大きく上昇し、28%→32%と初の30%超え。中でもRoyalsとLakersだけが35%オーバーとなった。

平均得点ではジョー・ファルクスとジョージ・マイカンの熾烈な争いとなった。2人揃ってリーグ史上初の平均25点超えの中、マイカンは28.3得点、2年連続得点王だったファルクスは26.0得点と大きく差を開けた。


プレーオフの形式も変更され、8チームが出場するシステムへ変更。これによっていわゆるスーパーシードは無くなった。

また、ディビジョン首位同士がいきなりぶつかる組み合わせ方式も変更され、より公平なカードが組まれるようになる。


このシーズンではLakersが圧倒的な強さで無敗のままファイナルまで進出。ファイナルこそ2敗しながらだったものの、あっさり優勝を果たした。NBLから続いて、リーグを跨ぎながらの連覇を果たしたことになる。

このLakersとマイカンによる王朝誕生が、後にしばらく続く“ビッグマンの時代”の始まりとなった。



このシーズン終了後の1949年8月、BAAがNBLを吸収する形で合併。1926年に誕生し長い歴史を持つNBLはBAAよりもリーグとしては大きな存在感だった。

だが、当時のアメリカでは東の方が都市化・文明化が盛んであり、東部を拠点にしていたBAAの方が優位になったことが要因となった。合併に合意した最大の理由は、お互いの対立によって双方が負担を大きくしていたことだった。ライバルリーグに立ち向かう為の差別化は、有望な学生選手の取り合いにも繋がり、前年のマイカンとLakersのような、脱退・加入による人気の奪い合いは双方のリーグを疲弊させるだけでしかなかったのだ。


これによって合併した新リーグはNational Basketball League“NBA”と改称。現在まで至るバスケットボール界の最高峰リーグが生まれた。