これを勉強するきっかけになったのは、バスケスクールでの子供達の会話から。

ゴール下でのコンタクトの話をしている際に、「黒子のバスケで言うてたシャックみたいに?」「強すぎてルール変わったやつやん!」という会話を聞き、『この半円があの説明であったやつやで〜』と言いながら、“〇〇年に出来たルールで”と説明しかけた時、何年からか自分が知らないことに気付いた。

 

普通ならここで終わるところ。もちろん、子供達との会話でそこを盛り上げる必要は無いので練習に戻ったが、僕の頭の中ではモヤモヤが残っていた。さらに言えば「シャックが強すぎるからオフェンスファウルにならない領域を作る」って変じゃないか?という疑問も出てきた。

皆さんもここで、その時の僕と一緒に今 考えてみてほしい。

 

ノーチャージエリアっていつから?

まず「シャックの影響で」という以上、早くてもシャックがNBAデビューから2年目以降。つまり1992年ドラフトだから最短でも導入は1993-1994シーズン。ただ、あの時代のNBAがそんなすぐにルールを変えることは無いだろうし、LAL所属時あたりかなと考えた。

僕の頭の中にあった映像記憶では、Jordanのラストショットではノーチャージエリアはあったはず(無い頃の映像を見るとなんとなくペイントエリアが簡素な見た目に感じるので分かる)。

ということは98年にはおそらくある。さぁ、どこからあったのだろうか。

 

僕はまず、ウィキペディアを覗いてみた。ルールに関する記述が、翻訳した上でしっかり載っているので、ルール関連の確認によく使う。

ノーチャージエリアに関する定義などが書いているが、いつから導入かが書かれていない。

他にも、誰かのブログなどで「シャックが変えたルール?」みたいな記事をいくつか閲覧したが、いずれも黒子のバスケ観賞後に調べて行き着きそうな絶妙に緩い解説だけで、導入時期は書かれていない。

 

英語で検索し、ようやく見つけた。

1997-1998シーズンから導入されていた。

つまり、ラストダンスと呼ばれたあの3連覇を果たす3年目で導入開始。

 

ただ、いくつかの日本人が書いた記事で少し気になったのは「シャックが強すぎたから」とか、「シャックにファウルしても意味が無いから諦めて出来たルール?」だとか、ルール導入とシャックの関係性がイマイチ理解されていない。

中には、「シャックが強すぎた為にノーチャージエリアができ、オフェンスファウルは取られなくなった!」という支離滅裂なブログも。笑

 

確かに、

シャックのゴール下での支配力を抑えたい → オフェンスファウルが取られない領域を設定しよう

はちょっとおかしな発想に思えますよね。線引きすることで「ここより外からのアタックはオフェンスファウルになりやすい」という考え方もありですが。

英語で色々検索しながら見て、他の記事も合わせていくと1つの可能性が浮かびます。

 

【 シャックはそもそも関係無いのでは? 】

ということ。

おそらくですが、関係無いです。強いて言えば、シャックを止める為に(というかFTを打たせる為に)攻撃的で危険なファウルを繰り返す選手が増えたことで「もはやどっちがファウルしているか分からない接触」となるのを避ける為?

でも、やっぱり無関係でしょう。

この頃から、より華麗な技をファンに届けようと考えていたデビッド・スターンの「ドライブした選手のフィニッシュを優先」させる為に、思い切りよく中に飛び込めるよう作られたルールである可能性が高い。

 

実際、導入前と後を比べると、リーグ全体で格段にダンク数が増え、FTの試投数も増えている。それはシャックも同様だ。つまり、得点力が上がっている。むしろオフェンス有利になったわけだ。

タイミング的にシャックの影響と思われているのだろうが、どう考えてもシャックが強すぎて作ったルールではないだろう。

少なくとも、シャックの支配力は抑えるどころか数字上ではさらにアンストッパブルになっている。

僕もなんとなくシャックが作ったルールだと認識していたが、深く考えていなかった。

 

ちなみに、英語で検索した時には「ノーチャージエリアはシャックが作った」という記事は全く見かけなかった。英語記事が正しいとは限らないが、日本で勝手に広まった噂なのかもしれない。

確証とまではいかないものなので、反論などの意見があれば是非コメントやTwitterからお願いします🏀

 

次の記事では、シャックが変えたと言われるもう1つのルールの真相を探ってみます😊