オリエンタルラジオの中田敦彦がYouTubeでやっている「YouTube大学」。
その内容のいい加減さがあちこちで指摘されています。
私もいくつか、自分の分かる範囲で指摘をしていこうと思います。
今回取り上げるのは
エクストリーム現代社会 創価学会編 前編
です。
では、早速いい間違いの指摘から。
いい間違いが、しかも、大事な語句のいい間違いが多いです。
・法華経は「ほけきょう」。「ほっけきょう」とは普通読みません。
・日蓮正宗は「にちれんしょうしゅう」。「にちれんせいしゅう」は間違い。
・神仏習合は「しんぶつしゅうごう」。「しんふつ」とは普通言わない。
大田区池上にある日蓮宗寺院は池上本門寺。池上本願寺ではありません。
この寺は日蓮入滅の地に建つ寺院で、弟子である六老僧の一人、日朗が受け継ぎ、池上派の本山になります。
いい間違いはこんなものです。
事実誤認は少なめですが、順番に。
・創価学会は現在世界91カ国ではなく、世界192カ国地域に広がっています。
・政教分離については、今までも散々触れられてきています。池上彰が触れてざわついてはいませんし、それが池上無双だとは、公明党も創価学会も思っていないと思います。
・日蓮が立正安国論を北条時頼に提出した時、時頼は執権を辞しており、形式上の最高権力者ではなく、実質の最高権力者でした。
・立正安国論には、他国侵略だけでなく、自国内での内乱も書かれています。それは二月騒動として現実となります。
予言とするなら、二つ当たったことになりますし、内乱的中が流罪放免の理由になります。
蒙古襲来は佐渡流罪赦免の後、起こります。
・日蓮は二度流罪されています。一度目は伊豆。これは立正安国論提出後です。
二度目は佐渡。この間には10年の歳月が流れています。
・日蓮の弟子、六老僧の内、日興以外の五人が同じ考えであった訳ではなく、それぞれが細かく違っています。
ただ、確かに日蓮を末法の御本仏として捉えるかどうかでは、日興と他の五人の意見は違いました。
・創価学会初代会長牧口常三郎は日蓮仏法に出会う前から教育学を模索しており、その思索の結果が「創価教育学体系」として纏められます。この本が出版された1930年11月18日が創価学会創立記念日となっています。
その教育学の土台は、カント哲学等を基とした価値論でした。
そして、日蓮仏法に巡り会うことにより、その考えは「価値論」としてまとめられました。
「創価」とは「価値創造」、という意味です。
・事業を行っていたのは戸田城聖であり(戦前は城外と名乗っていた)、二人で出版、教育事業で当てた訳ではない。
・創価学会の前身である創価教育学会は、最初、創価教育学説に共鳴する教員の集まりであったが、やがて教育者以外も加わり、日蓮仏法を実践する信徒団体となります。
・戸田城聖は出版、教育以外の事業も手広く行い、彼が縁で戦前の学会には教育者グループ以外に実業家グループが存在した。
・戦後、創価学会になった時、出版から信徒団体に切り替わった訳ではなく、戦前から信徒団体であった。ただ、広く仏法を広めるという理由から教育の文字を無くした。
・折伏、座談会は戦前から行われていたし、戦後の立ち上げも少人数の座談会から始まった。
ただ、その内容が戦前と戦後では全く異なっていた。
こんなところでしょうか。
おそらく中田敦彦は池上本だけ読んでこれを撮影しています。
せめて、創価学会出版の本をざっくり読むなりしていたら、もう少しちゃんとやれていたかもしれませんね。
情報が偏っています。