フォロワーさんから、こちらの記事を教えてもらい、興味深く読みました。

 

春風亭小朝の八代目桂文楽論

 

この記事が書かれたのは、昨年の5月1日。昨年4月24日には、泰葉による、元夫の虐待がブログアップされ、世間の注目を浴びていた時期なので、丁度タイムリーな記事と言えるでしょうね。

 

さて、八代目桂文楽がサド&マゾであったか?それに気づいた小朝もそうなのか?

 

私にはわかりませんし、そんな短絡的なものではないと思います。

 

私なりに捉えている、サディズムとマゾヒズムの関係。私は、支配と被支配の関係ではないかと思っています。

 

落語は師匠と弟子という、ある種究極の支配と被支配の関係で築かれた世界だと思います。そういう世界に生きる噺家という人種は、すべからく、全員が一般人よりも遥かにサディズムとマゾヒズムに浸っているのではないでしょうか?

 

そして、落語というのは、人間関係、人間模様を事細かに描いていく話芸です。人間関係というのは、突き詰めれば、そのほとんどが支配と被支配の関係ということになるのではないでしょうか?で、あれば、落語を究めるということは、人間の支配関係について深く考えることになるのではないでしょうか?

そういう意味で言えば、八代目文楽にしろ、小朝にしろ、強烈なサディズムとマゾヒズムを同居させることになるのかもしれませんね。

二人とも、真摯に落語に向かい合うという点では、姿勢が一致しているでしょうし、彼らだけではなく、多くの落語家に当てはまるのかもしれません。

 

まあ、それに対して、単に落語家の娘であるというだけで、落語をもてあそぶような言動をブログで続ける泰葉。

 

真摯に落語に向き合う人からすれば、腹立たしい事このうえないでしょうね。