前回からの続き。

ネタバレも続きます。どうぞご了承下さい。
また、今回はダメなところばかりを書いております。
良いところだけをご覧になりたい場合は、次にお進み下さい。



さて、幕開きから5分ほどで、柚香光演じるオクタヴィウスが、どんな人物なのか? またカエサルとの間柄、この時代の貴族がどういうものなのかが、実に『サラッ』と説明される。
その手際の良さは『お見事』

ただし少々雑過ぎる。何だか冒険物のゲームのオープニングのようだ。

昔の宝塚の脚本なら、水美舞斗演じるアグリッパか、聖乃あすか演じるマエケナスかのどちらかが、くどくどと説明していただろう。

もし、そういう劇中の説明が『古いタイプ』と田渕氏が考えているのなら、残念ながら大きな間違いだ。
例えば『エリザベート』にルキーニが登場しなかったら、誰があんな穴だらけの脚本を理解できるだろうか?



『説明をしない』『最低限の説明しかしない』というのが『良い脚本』ではない。

重要なのは『誰でも理解できる』脚本であり、『時代を感じさせない、違和感のない』演出である。


今回の脚本で最も理解できないのは、華優希演じるポンペイヤが『どうして死ななくてはならなかったのか?』ということだ。


ポンペイヤは全くのフィクションだから、好きなように使える役であるはず。
にも関わらず、オクタヴィウスとの恋愛感情もほぼ無ければ、『友よ』というほどの交流もなく、何の役割なのかもハッキリとしない。
もしポンペイヤの自殺の理由が、カエサル暗殺やローマの内乱にあるとするなら、どれだけの影響力がポンペイヤにあったのかを説明する必要があるだろう。

たかだか内輪の宴会の席に、恨み言を吐きながら乗り込んで来ただけで、それがどうやって他の市民に伝わったのか、全く判らない。

例えばだ。



徹底してフィクションの女性として扱うなら、カエサルの凱旋式にポンペイヤが飛び出し『カエサルは独裁者だ!』などと剣を振るって大暴れした。当然、取り押さえられ、大事にはならなかったが、ローマ市民に動揺が広がる。
それを上手く納めたのがオクタヴィウス。
カエサル万歳! オクタヴィウス万歳!の声が響く。

このことで、アントニーはオクタヴィウスに危機感を持ち、反カエサル側には蜂起を決心させてしまった。
実は、ブルートゥスはポンペイヤに恋をしていて、父の敵であるポンペイウスに味方したのも、ポンペイヤを守るためであったと。
そういう背景があって、ブルートゥスは反カエサル派の中心人物となった。
カエサル殺害の後は、やはり有名なブルートゥスの演説をすべきだ。フィクションなのだから必ずポンペイヤの件も入れて。

しかしアントニーの名演説にやられてしまう。それはポンペイヤの件のせいで。

そこまで作り込んだなら、ポンペイヤが『憎しみに火をつけてしまったのは…… 私のせい……』と呟いても、決して自意識過剰な『謎の女』にはならないだろう。



オクタヴィウスがアントニーに勝利して凱旋する時、『神々』に操られたポンペイヤがオクタヴィウスを父の形見の短剣で刺そうとする。
しかし、我に返ったポンペイヤは、自らの胸に短剣を突き立てる。『神々』は目的を失って消えてしまう。
『ポンペイウスの娘である自分が生きている限り、また争いの種になってしまうかもしれない…… あなたは王になるんじゃない…… アウグストゥス…… 尊厳ある者と呼ばれる人となって……』
と、オクタヴィウスの腕の中で息絶えれば不都合はないはず。


幕切れに、オブジェのように、ローマのために倒れて行った人々を並べて出すのは良いだろうが、その前にポンペイヤが霊となって現れるのは、全く不必要。
同じくブルートゥスら、カエサル暗殺団が亡霊となって現れるのも意味がない。
彼らを出すなら『神々』の意味がない。

もし、ブルートゥスらが怨みでアントニーのところに現れ出たのなら、カエサルのところにも暗殺されたポンペイウスが出ないとダメだろう? 
クレオパトラのところにも、敗死したプトレマイオス13世が化けて出なければ(笑)
話の進行上必要なところだけに亡霊が現れるのは、あまりにも陳腐で、都合が良すぎる。


何より、あれだけの野心家で、歴戦の強者であるアントニーが、肝心なところで亡霊にビビってしまうのは噴飯ものだ。
ここは嘘でも、クレオパトラを心配して、クレオパトラを助けるために戦線離脱をしなければ。
また中途半端な戦闘シーンを繰り広げるのなら、花組なのだから激しいダンスで表現するべき。


海上戦であるのに、全く緊張感と躍動感がない。
クレオパトラの船をどうにかしたいなら、そこは『神々』を使えば良いだろう? 
いきなりの高波で、クレオパトラの船が流されるくらいなら、神様の仕業で可能だろう。

そもそも『神々』は、積年の怨念や、欲望の結晶が、ローマ七王に姿を変えたのではないのか?

『神々』の説明も、物語の終盤ではなく、幕開きでするべきだ。ナンバー1曲で出来るはず。

ブルートゥス演じる永久輝せあにも見せ場がないなら、追い詰められて自害する方が、役割としても効果的だろう。
北朝鮮ではあるまいし、公開処刑など悪趣味だ。


カエサルの火葬を見せるのも悪趣味である。
なんならカエサルのマントと剣だけでも良いはずだ。

田渕氏は『フォロ ロマーノ観光で、カエサル火葬の遺跡でも観たからなのか?』と、下衆の勘繰りをしてしまう。

最後にクレオパトラについて。

クレオパトラを演じる凪七瑠海のためなのか、安キャバレーのショーのようなビカビカ電飾は不必要だ。一気に世界観が崩壊する。
あれは凪七に対して失礼だろう。


また短剣で胸を突いて死ぬのも頂けない。
役にはイメージというものがある。クレオパトラが衝動的に刃物で死ぬような女性だろうか? 
仮にも、女王を名乗り、国を動かしてきた女性である。
権謀術数に長けているであろう人物が、どんなに取り乱しても、そんな短絡的なことはしない。

クレオパトラの逸話に『毒薬の研究をしていたのではないか?』と言うものがある。
妹を毒殺したとか、自らをコブラに噛ませて死んだと言う有名な伝説もあるくらいだ。
ならば常々、クレオパトラは毒薬を持ち歩いている設定にすれば良いだろう?


例えば、アントニーがクレオパトラを宿まで送ろうと言い出した時、カエサルが『気をつけろ、美しいものには、身を滅ぼす毒がある』と冗談交じりに言えば、クレオパトラが胸元から小さな瓶を取り出し『この毒薬をどう使うかは私の唯一の自由。誰かに使うのか…… 自らが呷るのか……』とでも前振りしておけば済む。


と、とりあえず悪いところはキリがないので、ここまで。

誉めるところは、続けて次に。