本年の宝塚観劇納めは、

梅田芸術劇場での『Flare』マチネ。


東京国際フォーラムよりも3割増しで、

礼真琴が男前になっていると思ったら、

知り合いが

嫁が来ていた

と、終演後に教えてくれた。

舞空瞳や綺城ひか理らが客席にいたらしい。


……なるほど

宝塚の稽古場のような雰囲気だったのは、

そういう訳だったのか……

道理でこっちゃんが、

客席のある点に向かって、

ドヤ顔で、ドヤし散らしていると思った。


礼真琴も人の子だ。

嫁の前では、男前でいたいらしい。

実に可愛いではないか。

(以上、文章の一部を星組ファン用語でお伝えしました)


などと思いつつ、

茶屋町からブラブラ歩いていると、

電源を入れたスマホに、

メールやら何やら、受信音が鳴り続ける。

観劇される方なら、

どなたにも経験がおありだろう。

なので気にしなかったが、

聞き慣れない受信音が合間に挟まるので、

知り合いとお茶を飲む時に開いてみた。


Amebaからメールの通知が入っている。

久しぶりに聞く音だったので、

すっかり忘れていた。


まぁ、だいたい、

Amebaからメールの連絡がある時は、

良い内容か、スットコドッコイな内容かの

どちらかである。


結果は……


スットコドッコイな内容であった。

そんなメールが来るのは、

私の書いた内容が、

他のブロガーさんの書くことや、

雑誌やらとは違う時だ


その内容を3つにまとめると、

  1. 『Flare』に宝塚の曲が無かったこと
  2. 御礼奉公はケシカラン!
  3. 新しい所属事務所はケシカラン!

というものだ。


残念ながら、

私は他のブログ記事や雑誌を、ほぼ読まない。

なので、

何がケシカランのか、さっぱり判らん😵 

しかもどうして、

メールしてくるのか、私には判らん😵

(お好きな方は、マリンさんのアバナシーの口調でどうぞ)


で、

知り合いに尋ねてみれば、

何人かのブロガーさんやら

識者といわれる人が、

今回のコンサート『Flare』の曲目に、

宝塚の曲が1曲もなかったことを、

問題視しているとか。

因みに、

私は『宝塚の識者』と呼ばれる人を信用していない。

当然だが、そんな識者より、当人の話を信用する。

まぁとにかく、

そういう人たちが『(礼の)若気の至り』やら

『若者の曲ばかりで、年寄には不親切』などと

書いているらしい。


なんてナンセンスな、

馬鹿な内容…… これは失礼。

スットコドッコイな内容なのだろう。

聞いていて、

食べていた明石焼を吹き出しそうになった。


ツレちゃんやターコやマオやユリちゃんが、

退団直後に、

わざわざコンサートを開いて、

宝塚の曲を

唄いまくるようなことがあっただろうか?


確か、

ミネちゃんが退団してすぐに、

サンケイホールでコンサートをした時は、

宝塚時代の歌も何曲か入っていた。

しかし、

宝塚の歌というよりも、

宝塚時代から唄っていた外部の曲や、

ミネちゃんのコンサートのために

宝塚で作った曲だったと記憶している。

だってねぇ、

ミネちゃんやイーちゃんは、

研1、研2の頃から

外部でも歌手活動をしていたし、

ペ―さんとトリオで、

アイドルみたいなこともやっていた。

スタンダードなシャンソンやポップスなら、

在団中にほとんど唄っていただろう。

(古いスターさんの例えで、失礼しました)


そもそも、

スターそれぞれの個性があるのだから、

退団後も必ず、

宝塚の歌を唄わねばならないなんて

ルールもない。


そんなことを言うなら、

2時間近く、

礼真琴が『モン・パリ』やら『花詩集』を

唄い続ければ満足なのか?

そんなに

礼真琴が唄う宝塚の歌を聴きたければ、

機械が白煙をあげるくらい

『VERDAD』や『ANTHEM』を観れば良い。


退団して何年も経っているのなら、

懐かしさもあるだろう。

だが、

礼が退団したのは、

わずか4ヶ月ほど前のことだ。

しかも、

外部の曲と宝塚の曲を並べたコンサートは、

今年の正月に武道館でやっているではないか?

同じような内容のコンサートを

大々的にやる意味がどこにあるのか?


そんな馬鹿な内容…… 

いやスットコドッコイの内容を、

わざわざブログに書くなんて、

ただ自分のアテが外れただけの話ではないか?


そうすると今度は、

宝塚の曲を選らばなかった理由として、

歌劇団と新しい所属事務所の

関係やら柵(しがらみ)があるんだと、

ゲスの勘繰りをし始める……


これも単に、

下らぬ雑誌の読み過ぎか、

アテが外れた自分への言い訳だろう。


そもそも

『御礼奉公』がどんなものなのか、

理解しているのだろうか?

役者やタレントが、

自分を育て、売ってもらった恩を返すため、

薄給や無給同然で働き、

事務所に利益をもたらすことだ。


そりゃぁねぇ、

仕事をもらうだけで製作をしない、

役者やタレントを働かせるだけという

ヤクザな商売の芸能事務所なら、

『御礼奉公』というのもありえる。


しかし、


舞台を製作するとなれば、

製作側は、

まず製作費用を用意しなければならない。

しかもそれは、

実際に企画を動かしてみて、

客席が埋まって、グッズが売れて……

それでようやく製作側にお金が入る。


役者やタレントが、

一生懸命、命を削って働いたとしても、

客が入らなければ、それで終わり。

製作側には大損害しか残らない。

また、

客が入っても、評判が悪ければ二度目はない。


それが、御礼や奉公になるだろうか?


まぁ、

そんなことを言う人、

あるいは、

そんなことをまともに信じる人は、

世の中に、

スケジュール契約というものが

無いと思っているのだろう。


例えば、


今年の正月に行われた

礼の日本武道館公演などは、

さらに

その1年以上前から企画が出来ていないと、

武道館を借りることすら難しい。


ご存知の方もいるだろうが、

日本武道館を、

本来の目的(武道振興)以外で借りるには、

とても厳しい審査がある。

しかも

会場運営までかなり厳しい。


確か……

日本武道館の利用申込みは、

利用年の前々年の秋(10月くらい)だったと

記憶している。


つまり、

礼が去年の秋に退団を発表する

約2年くらい前から、

武道館公演は企画されていたことになる。

具体的にいうと、

2025年の2年前の秋だから、

2023年の『1789』を公演していた頃には、

もう凡その内容が決まっていただろう。


今回の『Flare』の会場の1つである

東京国際フォーラムのホールAも、

立地が良いから、

クリスマスコンサートの時期に確保するのは、

かなりハードルが高い。


東京国際フォーラム ホールAの利用申込みは、

最大2年前から可能だけれど、

武道館より前に申込むのは現実的にありえない。

それでは、

礼の退団日も決まっていないだろう。

そんな状態では、

今回のコンサートの構成、内容の決定、

他の出演者、スタッフの手配、

会場の確保など不可能だ。


これは推測になるけれど、

恐らくは、

正月の武道館コンサートの大成功を受けて、

歌劇団や東宝、梅田芸術劇場、大田高彰氏ら、

当時のスタッフが盛り上がり、

公演期間中、あるいは千穐楽直後に、

退団後の第一弾を、

今回のコンサートに決定したのだろう。


それからスタッフたちが手を尽くし、

ようやく手配できたのが、

東京国際フォーラム ホールAの

12月10日だったのではないか?

因みに、

仕込み、リハーサル、バラシを含めれば、

3日間ほど借りることになる。


だってねぇ、

本当に『御礼奉公』の金儲け主義に走るなら、

東宝やら梅田芸術劇場が確保しやすい、

もう少し小さな会場で5、6回公演もやれば、

国際フォーラムと同じだけの動員が可能だし、

劇団の演出家やスタッフ、

楽曲も宝塚の歌で構成すれば、

著作権関係や二次使用などもクリアできる。

言い方が悪いが、

安上がりに作ることもできるのだ。


それなのに、

ハードルの高い、

施設利用料も高い大箱を押さえて、

しかも

著作権をクリアにする必要がある

楽曲ばかりで構成して、

スタッフも外部から呼んでくる……

例え、

礼真琴をタダ働きさせたとしても、

他の出演者やスタッフ、

諸々全部が、

ボランティアで参加してくれる訳ではない。


御礼奉公のために、

わざわざお金をかけて、

そんな面倒なことをする必要が、

一体どこにある?


さらに礼は、

退団後すぐに海外に飛んで、

撮影やらミュージカルの視察やら、

次回作『BURLESQUE』のための

プロモーションまでやっている。


礼真琴の新しい所属事務所と、

東宝や梅田芸術劇場が

しっかり連携していなければ、

こんなスケジュールを組むことはできない。


いわばこれらは全て、

新しい 礼真琴のための

実績作りと言えるだろう。


日本国内で、

宝塚や劇団四季など劇団系を除き、

ミュージカルの製作、

興行を、常に行っている大手企業は、

東宝グループと松竹、ホリプロくらいしかない。

その内、

劇場を所有しているのは東宝と松竹だが、

松竹は、

ミュージカルをメインの企画にしていない。


そう考えれば、


礼真琴が、

今後もミュージカルを続けるのなら、

東宝グループの舞台に立つのは当然だろうし、

それ以外の、

歌手活動やテレビや映画への出演となれば、

新しい所属事務所の本領だ。

これからは、その両輪で行くのだろう。

そこに一体、

どんな柵(しがらみ)なんて陳腐なものが

あるというのか?


ハッキリ言って、

スットコドッコイな人たちの妄想に過ぎない。


人の思いは様々だから、

好き勝手考えることも、言うのも自由。

だが当人が、

何も説明していない、話せていない状態で、

これと言った

根拠もない妄想を押し付け、

さも自分たちの認識が

『正しい』と

喧伝するのは如何なものか?


知り合いが

年寄りに、

激しいK-POPを聴かせても

わからんだろう

って書いている人がいる……と話してくれた。

が、

あのナンバーは、

礼のダンスを観るためのもので、

聴く場面ではないだろう?

年寄りとか年齢の問題ではなく、

それではコンサートの内容や構成が

理解できていないではないか。


これでは本当に

ファンなのか? と疑いたくなるし、

『識者』というのも

眉ツバものに思えてくる。



今の『礼真琴』は、

礼真琴という人と、その才能に、

惚れた人たちが作ったものである。


惚れたのは、

スタッフと同じ舞台に立つ仲間、

そしてファンである。


惚れたスタッフは、

彼女の才能をさらに引き出そうと、

次から次へと、

彼女の前に高いハードルを置き、

分厚い壁を用意してきた。


ただでさえ険しく長い道を、

彼女はたった独りで、

自分との激闘を繰り広げながら歩いてきた。

時には仲間に助けられ、共に歩き、

置かれたいくつもの高いハードルを跳び越え、

いくつもの分厚い壁を突き破り、

星組のトップスターになった。


そのトップスターの座を、

近年稀にみる最良の状態で後輩に譲り、

共に歩んだ仲間たちにも別れを告げ、

今また独りとなって、

新たな道に一歩踏み出したところだ。


今度の道は、

頼れる仲間もいない上に、

さらに厳しく、さらに険しく、

そして、果てがない。


そんなことは、

礼真琴自身が、一番自覚していることだろう。


東京国際フォーラムでプログラムを買い、

コンサートが始まる前に目を通した。

そこで、

曲目に宝塚の曲がないことに気づいた時、

礼真琴が、

このコンサートにかける意気込み、

覚悟のようなものを感じた。


まぁ、

『どうして宝塚の曲を入れなかったのか?』

私は礼真琴に直接尋ねた訳ではない。

だから真相は分からない。

歌劇団の事情があったのかもしれないし、

新しい所属事務所の

柵(しがらみ)があったのかもしれない。


けれど、

私が聴いた、観た

『新しい 礼真琴』は、

とても素晴らしかった。

これは紛れもない事実である。

もし、

あの『新しい 礼真琴』が、

本人の意思に反し、

諸事情で、

誰かにやらされたものだったのなら、

それは逆に、凄いことではないか。

あのレベルまで、

他人の曲を唄いこなすには、

どう考えても、並大抵の努力ではできない。

この目で観た事実である。


柵(しがらみ)ねぇ……


どちらかと言えば、

根拠のない妄想を押し付ける人たちの方が、

世間的には

『悪い柵』というのではないのか?


毎度長文を読んで頂き、

実にありがとうございます。







東京国際フォーラムがオープンしたての頃……
もう約30年前の話だ。

私は舞台裏から、
このホールAの客席を見たことがある。
まぁ本当に、
とんでもなく馬鹿デカイ
その数年前にも、
開館したばかりのパシフィコ横浜の
国立大ホールで、
舞台裏から客席を見たことがあった。
こちらもやっぱり馬鹿デカイ。

が、
パシフィコ横浜の客席は3層。
対する国際フォーラムのホールAは2層。
その違いで、
ホールAの客席の方が、
とんでもなく間口が広く感じるし、
舞台から客席を見ると、
眼前に
そそり立つ人の壁があるように感じる。
東京国際フォーラムのホームページにある画像↑

物は試しと開演前に、
最上階まで上がってみた。
ご覧の通り、人が米粒のようだ。
単純にキャパシティだけで考えても、
宝塚大劇場の1階2階客席を、
さらに2倍も積み上げたようなものだ。

国内最大級の劇場型ホールは、
東京ガーデンシアターの約8000人。
日本武道館も、コンサートなら同じ規模だ。

しかしこの規模になると、
パフォーマーは、
客席に向かってパフォーマンスをする
『劇場』というよりも、
『洞穴』や『暗闇』に向かって
パフォーマンスをするように感じるそうだ。
また観客も、
パフォーマーを近くに感じることが難しい。
だから、
ランウェイのような張り出し舞台が必要なのだ。
これは演出上の『飛び道具』である。

言い換えれば、
この5000人規模の劇場空間が、
ランウェイなどの『飛び道具』無しで、
パフォーマーの真の力量が試される、
最大限の空間だと言えるだろう。

礼真琴は、
すでに日本武道館という大空間で、
大成功を納めている。

でもそれは、
メイクも衣装も、
そして他の出演者、スタッフも、
『宝塚歌劇』という味方に支えられ、
さらに
『男役』というベールをまとってのものだ。

今回のこのコンサートは、
そんな『宝塚歌劇』という後方支援がない、
『礼 真琴』と名乗る
一人の女性パフォーマーの真価が
問われる場所であったろう。

パンフレットと10日のソワレで拾った紙吹雪↑

結論を言えば、
流石!
礼 真琴 である。
今回も大成功だ。

コンサートの幕開き。
重低音のSEが響き、レーザー光線が煌めく中、
ダンサーたちがうごめき始め、
スポットライトに、
鮮やかなオレンジ色のスーツに身を包んだ
可憐な女性が浮かび上がる。

一瞬『誰?』と思ったが、
パッチリ垂れ目に、
少々テレ気味な不敵の笑み……
間違いなく礼真琴=こっちゃんである。

歌声は、
宝塚時代より少し高い、女性のキー。
長らくお目にかからなかった脚線美を見せつけ、
このオープニングの1曲で、
新しい可憐な礼真琴を印象づけた。

確かな歌唱力で聴かせ、
キレのあるダンスで魅せ、
恥ずかしがり屋のグダグダのMCで笑わせる。
得意気に上がる左の口角、
肩で風切る歩き方、
曲の好み……

そこには、
全く『変わらない 礼真琴』がいるし、
『新しい 礼真琴』を創造しようと、
懸命にもがいている
『たゆまぬ努力の人 礼真琴』もいる。

宝塚時代の曲に頼らず、
パフォーマーとしては孤立無援の状態で、
あの巨大な5000人の視線の壁を前に、
ステージの真ん中に立つだけでも、
本当に
『礼真琴』という人は、大したものだ。

これから大阪公演の開幕。

実際に劇場で目撃される方も、
ネット配信、ライブビューイングで
ご覧になる方もいらっしゃるだろうから、
コンサートの詳細を書くことは、
遠慮しておくけれど、
どうしても書いておきたいことがある。

それは、

やはり
礼真琴はドラマティコである
ということだ。

ドラマティコとは、
「力強く劇的な表現力を持つ声質」
という意味のイタリア語で、
音楽用語として、主にオペラ歌手の評価に使う。

礼真琴がドラマティコだと、
つくづく実感したのは、
ミュージカルナンバーを歌った時だ。
あえて言うなら
これだけのミュージカル女優は、
今、彼女以外にいない。

年に一度、あるいは何年かに一度、
好きな歌を、
好きなだけ自由に歌う機会が
あっても良いだろう。
これからの礼真琴の未来地図が、
単なる女性ボーカリストというなら、
話は別だが、
それだけでは勿体ない。
本当に勿体ない。

次回作は
ミュージカル『BURLESQUE』
きっと礼真琴の新しい地図に、
輝かしい軌跡を刻むに違いない。

新しいこっちゃんに、期待が膨らむばかりだ。





御機嫌よろしゅうございます。

毎度御贔屓を賜り、

真にありがとうございます。


さて、

月組の感想を書いておりましたら、

もはや宙組公演の開幕!


私事ではありますが、

昔から、

芝居を観るために働いておりますと、

曜日で動かずに、

観劇日から次の観劇日でスケジュールを

考えるものですから、

1週間、1ヶ月の経つ感覚が麻痺しております。

盆明けから今日までの約1ヶ月間で、

劇場に足を運んだ日が11日。

3日に一度の観劇。

なるほど、貯金は増えないはずです。


友人からは

まだ一度も

歌舞伎のことを

書いてないじゃないか!

と叱られるのですが、

関西は、歌舞伎が常打ちではありませんからね。

観る回数が限られますと、

なかなか筆を取る気になれません。

最近は、歌舞伎座まで行くのも、

東宝を観に行くついでになってしまいました。


歌舞伎座のおでん食堂や蕎麦屋も姿を消して、

幕間の楽しみも減ってしまいましたしね……

また折を見て、

今月の松嶋屋の菅丞相の感想でも

書いてみたいと思います。

その時はまた、

よろしくお付き合いを賜れますよう

お願い申し上げます。


と、話が逸れました。



待ちに待った、
桜木みなと の宙組トップスター御披露目公演が
開幕しましたね。
初日翌日の14日、18日と、 
すでに2回観ているのですが、
まだ開いて間もありませんから、
詳しくは、回数を重ねてから後日に。

今回はとりあえず、
ざっと観ただけの感想を申し上げます。

まずは、
HI-AX 原作・著作・構想
野口幸作  脚本・演出
TAKARAZUKA MUSICAL ROMANCE
『PRINCE OF LEGEND』から

本公演での、
LDHと宝塚のコラボレーション二作目。
脚本と演出も、
前作『HiGH&LOW』と同じ野口幸作 氏なので、
『お好きな方』には
堪らない仕上がりになっているのだろう。
隣りの席のお嬢さん2人から、
ヒェッ!という言葉にならない心の声が、
幕明きから最後まで、
ずーっと溢れ続けていた。

約90分の芝居の内、
ドラマが動くのは約10分ほど。
やはり、
前作の『HiGH&LOW』と同じように、
そのほとんどが登場人物の紹介に費やされている。
新生宙組生のメンバー紹介と考えれば、
これも一つの方法かもしれない。

ただの人物紹介を、
どう芝居として見せる内容に煮詰めて行くのか、
これからの宙組生の奮闘に掛かっている。

新トップスターの桜木は、
御披露目作品から当り役を得たようだ。
正式に宙組2番手となった水美も、
これは『はいからさんが通る』の
鬼島軍曹に次ぐはまり役。
ヒロイン成瀬果音を演じる春乃は、
ドラマ部分を一手に引受ける難しい役回りを、
的確にこなしている。 
この人の、
天性の感の良さが
光っていると言えるだろう。

その昔、
ターコ、モック、イーちゃんが
ゴールデントリオと呼ばれたように、
久しぶりに宙組が、
ゴールデントリオと呼ばれる組になりそうだ。

脇で大活躍なのが、
鷹翔千空ときよら羽龍のコンビ。
そして大路りせ。
欲を言えば、鷹翔はもっと弾けて欲しい。 
きよらなら、必ず受けて立ってくれるはずだ。
大路も、もっと前に。
相手が桜木だから遠慮もあるだろうが、
桜木だから遠慮する必要はない。
ずんちゃんなら受けて立ってくれる。

今の風色日向に必要なのは、
滑舌と台詞の間合い。
せっかくの儲け役がもったいない。

相変わらず、
松風輝、小春乃さよは達者で、大変に結構。

大劇場の千穐楽まで、
どれだけ面白くなり続けるのか、
それが楽しみだ。

続いては、

齋藤吉正  作・演出
ビートオンステージ
『BAYSIDE STAR』

昨年の宙組公演
『Le Grand Escalier ル・グラン・エスカリエ』 
で、宝塚の正統派レビューを見せた齋藤吉正。

齋藤レビューではおなじみの
ハチャメチャてんこ盛りではなく、
今作は、 

正統派レビューに

やりたいことてんこ盛り

で仕上げてきた。


ショーの構成は、

横浜港を出港した豪華客船『みなと丸』が、

世界の港湾都市を巡って神戸に帰港。

その最終地点が『宝塚』という内容だ。


ご存知の方も多いだろうが、

ずんちゃんの『桜木みなと』の芸名は、

横浜の『桜木町』に因んでいる。


教科書で習う、

日本初の鉄道開業区間は、

新橋〜横浜間であるけれど、

その旧横浜駅こそが、

現在の桜木町駅の場所だった。


齋藤氏も横浜の出身。

同郷のトップスター就任は、

さぞや喜ばしいことに違いない。


だが残念なことに、

その喜びと愛が溢れ過ぎたのか、

今のところは

ピントがボヤけてしまっている。

桜木の、

あるいは新生宙組の

『見せたいもの』が伝わってこない。

煮詰まるまで、楽しみにして待ってみよう。


と、


ざっと感想を友人に話してみた。

すると友人からは

どうしてフィナーレで

『海ゆかば』が出てくるのか、

なんか違和感がある

などという人がいると聞いた。


私は、

今年は戦後80年の節目の年だし、阪神大震災からも30年の節目でしょう? 他に何か理由が必要かい? 

だって神戸のパートだよ?

神戸港が軍事拠点だったことを知らないのかい?

と申しますと、

「海ゆかば」は鎮魂歌だから、

違う意味が

あるんじゃないのか?

と騒いでいる人がいるとのこと。


まぁ、

いつの時代にも、

『自分の感受性は違う!』

と、変な言い掛かりを付けたい人はいるもので。

そういう変な人は、

あぁ、変な人だ

と距離を置くしかないですね。


確かにね、

「海ゆかば」に関しては、

『軍歌だ! 』

『いや、鎮魂歌だ! 』

と、政治的に騒ぐ変な人たちが

沢山いるんです。


しかし、


曲としては、

海軍の式典用の曲=儀制曲として、

行進曲「軍艦」=いわゆる「軍艦マーチ」の

間奏部分に取り入れられたのが始まりで、

それをさらに、

日本放送協会=NHKが、

昭和12年に、

戦意高揚を目的とした国民歌謡、BGMとして、

改めて、信時潔に作曲を依頼したものが、

今回の「海ゆかば」です。


これを鎮魂歌だと誤解する人が多いのは、

日本軍の玉砕を伝えるニュースのBGMとして、

当時のNHKや軍部が多用したからなんです。

ただ実際は、

『女々しくなく、荘重に聴こえる曲』として、

悪用されてきたと言った方が良いでしょうね。


さらに「海ゆかば」の詞を辿れば、

奈良時代の歌人であり貴族であった

大伴家持の古歌に行きつきます。


聖武天皇の時代。

奈良の大仏建立のために、

陸奥国(現在の宮城県)から金が献上されました。

大仏に鍍金するための

「金」の不足に難渋していた聖武天皇は、

この献上を大いに喜びました。

そして、

さらなる金の産出を命じる詔書が発せられます。

この詔書に引用されたのが、

かつては中央政界で活躍していた

大伴氏の家訓でした。


ですが家持の時代には、

新興勢力となった藤原氏に追い落され、

大伴氏は凋落の一途にありました。


先日、月組で再演された『花の業平』で、

佳城葵が演じていた伴大納言が、

この大伴氏の子孫です。


落ち目の真っ只中にいた家持に取って、

詔書に、自家の家訓が引用されることは、

この上ない名誉と、

中央政界復帰のチャンスと思ったことでしょう。


そこで、

歌人でもあった家持が、

その金献上のお祝いと、家訓が引用された

御礼を兼ねて贈った長歌の一部が、

「海ゆかば」の原詞となりました。


その長歌の内容を簡単に言えば、

大伴氏のこれまでの功績と、天皇に忠誠を誓う

一種のゴマすり歌です。

つまり、

実際には

誰も死んでいませんから、

鎮魂の意味も全くありません。


それをねじ曲げて、

さも『鎮魂』の意味があるように

利用してきたのが、戦前戦中の軍部でした。


なのでね、

またもや鎮魂だのどうのと騒ぐ人たちは、

その戦前戦中の軍部同様に、

何かをねじ曲げたい人たち

なんでしょうね。


と、下らない内容で長くなりました。


宙組の公演評については、

また後日に。


今夜はこれから

『四月は君の嘘』に行って参ります。


最後まで御覧頂き、

真にありがとうございます。