運についてまた考えた日でした。というのも、ステイホームしながら運というものはどうなるのか。家の中で運が良いとはどんな事だろうか。
朝スッキリ起きれたのは運だろうか。いや前夜の僕のケア次第。しっかり体を温めてストレッチしたからだ。おっと、忘れてないよスマホ君。アラームありがとう。
お皿を洗う洗剤がその回の皿洗いでピッタリ終わった事か。間に合ってよかったって。いやそれも日頃洗剤の残量を確認しなかったのと、よく考えたらちょっぴり最後は薄めになってもごり押しして間に合わせたからだ。いつかは起こってた事。
テレビをつけたらたまたま見たかったテレ東ドラマ浦安鉄筋家族が始まった事か。かなりたまたま感はあるが、うん、まあこれは運がよろしかった。少しね。見逃し配信に頼りすぎ。
外に出ている時はもっと色々な要因が重なって運とは引き起こる。その不確定要素が少ない家での生活ではやはり運の種類は少ない。つまり何かしらのアクションを起こした時、更に行動範囲の広さも考慮に入れて運は良くも悪くも発生する。
ということはだ、アクションを起こしたら運が引き起こるなら、運は自分で引き起こせるものなんじゃないかなあ。運は引き寄せるもの、運も実力のうちとはここらあたりから飛び出してきてる。運は使用回数で減らない説に一票投じる事とする。
前回の運についての見解では、ポジティブな捉え方によって運が悪かったことも良かったことに出来る話。
今回の捉え方も大筋は当たってると思うが、運が悪かった事象も同じく引き起こしてしまうので運の良し悪しの話よりも、その運の良し悪しもアクションを起こさなければゼロ。まず行動に起こしてみようっていう話。前回の見解のプロローグ的な位置に入るのかな。家に居続けて初めて、アクションによって運が引き起こる事、
広い生活範囲(日常)では何がどのアクションの運なのか多すぎて分かりづらいという事も感じた。
書いてみて、そんなの当たり前じゃんって事をつらつらと書いてる感じがする。でもしっかり考えてみると、こんなに面白いテーマは他に少ないと思います。ほんと、『運』ってなんだ。