昨日の夕方の関西の番組で知ったが、関西の私鉄各社は次々に新型車両を作ってるらしい。

そして、その一方で静かに引退していく車両もある。

京阪もその一つで、来年春に旧型の車両が引退らしい。

新型車の快適空間は乗ってテンション上がるけど、改めて乗る自分より年上の旧型車両というのも乙である。

現代に対応するために新たな改良をされつつ頑張る姿。

PCなんか使えなくてよかった時代から、使えなきゃ窓際の時代になったサラリーマンの奮闘と同じ。
電車の場合、長年使うとどうしてもブレーキや加速に影響が出る。

だけど、それがまたいいというベテラン運転士も居る。

京阪はテレビカーが無くなる。

初めてテレビカーに乗った際にはテンション上がった。

既に家にもテレビあったけど、一味違うのだ。

昔のJRは4人組の座席になっていて、転換は出来ない。

だからこそあった出会いもあるし、出逢いもある。

古いからといって時代遅れじゃない。

その長い運用期間に様々なドラマを運んだに違いない。

緊張の初出勤・ドキドキのお受験・初めてのデート。

今や立派に育った後に改めて思い出す。

現在の高速輸送化には耐えにくい車両かもしれないが、それでも紛れて走ってる。

それは人間も同じ。
いくら資格だ学歴だで飾っても、得意先との人間関係はいくら出しても買えない。

きっとそんな少年少女達は痛感する。

窓際でコツコツと仕事してたおじさんから定年の際に引き継いだ得意先。

自分ならコイツの10分の1の速さで終わらせると意気込んだのに、得意先から言われた一言は「○○さんならもっと上手くやった」「○○さんなら言わなくてもツーカーだったのに」「ゆとり世代は勘違いしてる」そんなとこ。

きっと、周りもゆとり世代になって、バカな青少年がそのまま会社の中心に立つ日は近い。

だけど、もう少し人間の方はしっかりとした大人が居そう。
来年春の京阪特急の旧型車両引退の時、別れを惜しむ客に紛れて、一緒に歩んだ人間達が居るだろう。

初めてマスコンを握った車両だった安全責任者、会社への初出勤に使った社長、子供の時の感動を自分の子供に伝える父親。

普段なにげなく使っていた車両も言わば同士。

辛く悲しい毎日を支えてくれた車両達を僕らはきっと忘れないだろう。