子育て

特に勉強やスポーツにおいて、それを後ろや下から支え伸ばそうとする子育てにおいて

親の言葉って本当に無力だと感じることはありませんか?

ありますね?

ありまくりますね?

ありまくりまくりまくりまくりますね?

なぜに届かぬこの思い!

子供の頭蓋骨のどこかにUSBの差し込み口探したくなりません?

直接有線でこの思いをインストールしたい!


そう思うこともしばしばでしょう笑



でも、現実にはそりゃ無理でー


だから今日も我が子の上をスカースカーと吹き抜けていく「親の言葉」を投げかける。


吹き抜けるのに

そんなの分かってるのに


でも、なぜ親の言葉は我が子の上を通過しかしないのか

同じこと言ってるのにコーチや先生の言葉はしっかりと受け止めるのに


なんで?


と思うよねぇ



その答えはね



親子だから


だよね。


親子って言葉があるねぇ


普段、何気なく使ってるその言葉


親と子で、親子

もう当たり前のように一つの熟語として使う。


親と子


親子



そこには「師弟」とは少し違うニュアンスがあるね


それは


あまりにも一心同体感が強いってこと。


感じるよね?



親子


ほら、運命共同体って感じがしない?


一緒なんだ

セットなんだよ


親子って。


なんならその垣根がないとか、そういう感覚をさらに超えて

同一体

のようにも思える。


そりゃそうさ


最初は母親の身体の中にいるんだから。


同一体なんだよ


特に母親とは、ね。


だから、身体は2つに分かれてもどこかで一つなんだと思うんだ。


さあ

見えてきたね


親の言葉が子供に刺さらない理由が。


同一体だとすれば、親の言葉は子供にとっては独り言と同じ。


このクソ暑い日、外に出た瞬間に「あっつ…」と思わず出る言葉と同じ。


友達が横にいれば「やば!暑くね?」と言ってくる。

それには「ね」と答えるが、自分の「あっつ」という独り言には答えない。

まさに親の言葉は「子供の独り言」のようなもんなんだ。

同一体

という感覚が強いから。


だから、「言っても分からない」というよりも

そもそも独り言だからボヤッと頭の中から湧き出た思考?が口から漏れたような感覚なんだと思う。

自分の独り言にいちいち思考が反応しないように

親の言葉は子供の脳みそに引っかからない



おそらく今書いてきたことが「言っても聞かない」のメカニズムなんじゃないかな


と思う


よ。


どう?



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と!