人は人から多大なる影響を受ける。

 

直接の「人」でなくても、人が作ったもの、書いたもの

 

それも間接的に「人」からの影響であろう。

 

自然物からの影響も受けるだろうが、おそらくそれは「命の源泉」として感動を覚えるのではないか。

 

自分の生命の出発点

 

文字通り「源泉」「水の湧き出る泉」のようなものだろうか。

 

それが小川を流れ、川に流れ込み、河を流れて海に出る。

 

その間に、人に飲まれ、人を潤し、植物を生えさせ、生きながらえさせる。

 

何かを作るために工場で利用され、人の生活を支える。

 

そうやって水は源泉から湧き出たことなど忘れ、人と命と関わり合い、海に出る。

 

そこでもまた海の命を支え、そして運が良ければ空気中に飛び出して、

 

風に乗って雨になり、また源泉へと舞い戻る。

 

人もそれと同じと考えれば、人は生まれいでた瞬間から「人」との関わりの中で生きていくのだ。

 

 

さて

 

 

話がとても壮大になっているが、

 

 

我が子の時間もまた、そんな人との関わりの中で流れている。

 

しかし

 

それは無限ではなく、有限だ。

 

限られた大切な時間の中で我が子は育っていく。

 

その時間を、その先生という「人」に預けて良いのか。

 

預けるに値する「人」なのか。

 

 

水が無駄に使われてしまうことがあるように、

 

我が子の時間も無駄に使われてしまってないか。

 

本当にその人でいいのか。

 

 

僕は常にそう見られている自覚を持ってこの仕事をやっている。

 

 

命という時間を任されている立場だ。

 

 

塾に限らず、子供と向き合う職業人はこのことを忘れてはダメなのだ。