神社で祝詞を奏上したら | なぜだろう、なにかしら?

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(2016年7月の記事です)

 

神社で祝詞をあげているかたも多いと思います

小桜姫物語に祝詞の奏上について触れている部分があります

抜き出してみました


七十、現界の祝詞

  そうする中(うち)にも、今日の鎮座祭のことは、早くもこちらの世界の各方面に通じたらしく、私(わたくし)の両親、祖父母、良人(おっと)をはじめ、その外多くの人達からのお祝いの言葉が、頻々(ひんひん)と私の耳にひびいで参りました。それは別にあちらで通信しようとする意思はなくても、自然とそう感じられて来るのでございます。近頃は現界でも、電信とか、電話とか申すものが出来て、斯うした場合によく利用されるそうでございますが、こちらの世界でする仕事も大体それに似たもので、ただもう少し便利なように思われます。

『思えば通ずる……。』

それがいつも私どものヤリ口くちなのでございまして……。
  さてその際私に感じて来た通信の中では、矢張良人(おっと)のが一ばん力強くひびきました。

『そなたはいよいよ神として祀られることになり、多年連添った良人として決して仇やおろそかには考えられない。しかもその神社の所在地は、あの油壺の対岸の隠れ家の跡とやら、この上ともしっかりやって貰いますぞ……。』
  兎角して居る中うちに、指導役のお爺さんから御注意ごちゅういがありました。――
『現界ではいよいよ御霊鎮の儀に取とりかかった。そなたはすぐにその準備したくにかかるように……。』
  私の身も心も、その時急に引きしまるように覚えました。
 『これから自分はこのお宮に鎮まるのだ……。』
  そう思った瞬間に、私の姿はいずくともなく消えて失せて了いました。
後でお爺さんから承るところによると、私というものはその時すっかり御幣の中なかに入はいって了ったのだそうで、つまり御幣が自分か、自分が御幣か、その境界が少しも判らなくなったのでございます。
  その状態がどれ位いつづいたかは自分には少しも判ませぬ。が、不思議なことに、そうして居る間、現世の人達が奏上する祝詞が手に取るようにはっきりと耳に響いて来るのでございます。その後何回斯うした儀式に臨だか知れませぬが、いつもいつも同じ状態になるのでございまして、それは全く不思議でございます。
  不図(ふと)自分に返って見ると、お爺さんも、又守護霊さんも、先刻の姿勢のままで、並んで神壇の前に立って居られました。
 『これでわしも一と安心あんしんじゃ……。』
  お爺さんはしんみりとした口調で、ただそう仰ッしゃられたのみでした。つづいて守護霊さんも口を開ひらかれました。――
『ここまで来るのには、御本人の苦労も一通りではありませぬが、蔭になり、日向になって、親切にお導きくだされた神さま方のお骨折りは容易なものではございませぬ。決して決してその御恩をお忘れにならぬよう……。』
  その折りの私としましては感極りて言葉も出(い)でず、せき来くる涙を払えもあえず、竜神さま、氏神さま、その外の方々に心から感謝のまことを捧たことでございました。

 

小桜姫さまの通信にも祝詞が届いているという記述がありますね、

 

「 不思議なことに、そうして居る間、現世の人達が奏上する祝詞が手に取るようにはっきりと耳に響いて来るのでございます。 」

 

みなさんの祝詞もきっと神社の御祭神に届いていると思います

それにしても

 

「その際私に感じて来た通信の中では、矢張良人(おっと)のが一ばん力強くひびきました。」

 

の部分は素敵ですね、この一行で小桜姫さまにKOされた人も多いのでは(笑

※追記

何度「小桜姫物語」を読んでもここで尊死してしまいます(笑

 

 

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