聖 書  ヨハネによる福音書 1章1~5節


1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

2 この方は、初めに神とともにおられた。

3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

 

 

 

メッセージ 「暗闇を照らす光」 滝本 文明 牧師

 

今週からアドベント(待降節)に、入りました。4週間後には、クリスマスを迎えます。

神なる主イエス・キリストが、人間の私達に、最も近づいてくださる時です。

 1節「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

4節「この方に命があった。」5節「光は闇に輝いている。」 言葉と神さま、神さまと命、神さまと光、が結び付けられています。そして、この光と洗礼者ヨハネも結びつけられています。

このヨハネが、光を証しするためだけに登場しています。そして、この光に対する世人の反応も、聖書は語り、警告を与えています。

 

1) 光は闇の中に輝いている

世の中(国家)も、個人の私達も光を失うと気力を、希望をなくしてしまいます。当時のイスラエル社会は、ローマの圧政下におかれ、もはや信仰によってさえ、生きる指針や、望みが見えてこない時代でした。そのような時に洗礼者ヨハネが、さっそうと登場し、闇夜を照らす光について語り始めました。 更に、福音書記者ヨハネは、驚くべきことを言いました。この言葉が肉体をとって主イエス・キリストとなった、と言っています。イエス様は、目に見える神の言葉なのです。

 

 このヨハネの福音書は、何とも不思議な手紙の始まり方、をしています。初めてこの個所を読んで、理解出来る人がいるでしょうか。この個所を読んだ時、いったい何のことを言っているのか、分かりません。 しかし、そのまま読み進んでいくうちに、「ああ、これは主イエス・キリストのことだ」と分かるようになります。1章14節に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られた、ひとり子としての栄光である。この方は、恵みとまことに満ちておられた。」とあるからです。

 

ヨハネはまず、イエス・キリストを、「ことば」として紹介しました。なぜ「ことば」と紹介したのでしょうか。 言葉は、コミュニケーションをする上で大切な手段です。私たちは言葉によって、自分の考えを表現したり、説明したりします。 言葉は、その人の性質を表しています。その人が、どのような言葉を発するかによって、その人がどのような人であるか、が分かります。汚いことばを、発する人はそのような性質を持っており、丁寧なことばを発する人は、そのような性質を持っています。どのような言葉を発するかで、その人がどのような性格の人かを、ある程度判断することが出来ます。キリストは神の子として、完全なことばを持っておられました。キリストは、神の人格者として現れた方です。

 

また、言葉には大きな力があります。創世記1章3節には、「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」とありますが、神は、ご自身のことばをもって、天地万物を創造されました。言葉には、天地を創造する力があるのです。 また、ことばは、人を傷つけたり、破壊したりする力を持っているかと思えば、逆に、傷つき、苦しんでいる人を慰め、励まし、力づけ、絶望から救い出すこともできます。キリストは、神の言葉として、私たちを人生の、さまざまな苦しみから、解放するだけでなく、罪によって死と絶望の淵にある私たちを、そこから救い出すことが、お出来になります。

 

聖書を1番初めに、日本語に訳したのは、オランダ伝道協会の宣教師カール・ギュツラフという人です。彼は、遠州灘で遭難し奇跡的に助け出された3人の日本人が、マカオに到着した時、彼らから日本語を学び、日本語の聖書の翻訳作業を開始しました。そして、ついに、約1年かけて、「ヨハネ伝」が翻訳されたのです。 この訳には、ヨハネの福音書1章1節を、次のように訳されています。

「はじまりに かしこいものござる

このかしこいもの ごくらくともにござる」

これによると、「初めに、ことばがあった」という文章が、「はじまりに かしこいものござる」と訳されています。「ことば」をどのように訳したらよいのか、相当悩んだことが分かります。ただの言葉ではなく、賢いもの、知恵ある者としての神、それを「かしこいもの」と訳したのです。また、「神とともにあった」を、「ごくらくとともにござる」と訳しました。神をごくらくと表現したところに、当時の日本人が、神様に対して天国について、どう考えていた、が伝わって来ます。

 

日本の歴史上、偉大な人物として、日本人に人気があるのは、織田信長や坂本龍馬です。坂本龍馬が薩長同盟を結ばせ幕末を終わらせて、新しい日本の礎を築いた人物として有名ですが、キリストは、それどころではありません。キリストは神ご自身であられるからです。

世界で人気がある有名な偉人は、レオナルド・ダ・ヴィンチ とか、アインシュタインです。ダ・ヴィンチは、芸術家であり数学者であり発明家でもありましたが、様々な分野で素晴らしい功績を残してきたことから「万能人」と称されました。

しかし、キリストはこうした世界の偉人と、呼ばれる人たちとは、全く比較にならないほどの、すごいお方です。なぜなら、キリストはこの天地を、創造された神様ですから。

4節の「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」 最初の人アダムとエバは、神の命令に背いて罪を犯したことで、神との関係が、断たれてしまいました。すなわち、霊的に死んでしまったのです。それゆえ、神はその罪から、私たちを救い永遠のいのちを与えるために、ご自身の御子を、この世に与えてくださいました。それが救い主イエス・キリストです。キリストはこう言われました。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:10)イエス様が来られたのは、このいのちを、私たちにもたらすためです。

 光」が注がれるとどうなるでしょうか。光が注がれると、それまで見えなかったものが、見えるようになります。真っ暗の中では、どこをどう進んで行ったらよいか、分かりません。しかし、闇が照らされることで、進むべき道がはっきりと見えます。

 つまり、このいのちは、人の光であった、このことが意味していたことは、光であられるイエス様は、闇を消し去ることが出来るということです。 このことをヨハネは5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」「光」の反対は、「闇」です。キリストは闇ではなく、光です。キリストと共に人生を歩むということは、闇の中ではなく光の中を歩むことです。

 あなたには今、どのような闇がありますか? それがどのようなものであっても、闇はこれに打ち勝ちません。ヨハネは語っています。光はやみの中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。これこそ、ヨハネが、この福音書を通して私たちに、語りかけようとしているメッセージです。

 

■結 論 

結論です。日本中の町々でクリスマスを商売にして、イルミネーションが飾られ、クリスマスソングが流れています。これも主イエス様のご降誕を祝う一つの形ではあるでしょう。しかし、私達は、暗い心の中に神様の言葉である、命の光が灯ることを願って主のご降誕を待ちます。

静まって祈りつつ、この4週間を神様への感謝の思いをもって、過ごして行きましょう。そして教会で、主イエス・キリストを信じる者と共に、喜びをもってクリスマスを祝いましょう。