dnews【時代と共に変わる、夏休みの宿題】



昨日、読書感想文がやっと終わった。


丁寧な字で書き上げた後に、題名と名前は書かず本文から書き始める…というルールに気が付き、2度清書する羽目に。

お陰で、息子くんはぐったりだった。


読書感想文というと面倒で少し憂鬱なのだが、夏休みの後半に残したくはなかったので7月末から早々に取り掛かる。


息子くんにとっては、初めて挑戦する読書感想文。

どう書かせたらよいものやらと思案し、とりあえず親子で本を読んで、息子くんに色々と質問していく事にした。

その答えた内容を、文章形式にして繋ぎ合わせる…という作業をしていったら、意外にアッサリと苦しむことなく出来上がったのだ。


インターネット上では、AIを上手く利用して苦手な宿題に時間を費やす事はないとか、読書感想文はAIを利用すれば簡単に賞をとれるから真面目にやるだけ馬鹿馬鹿しい…と言った意見があるようだ。


確かに、沢山ある夏休みの宿題を効率的にすすめるには手伝う親側もそういった考え方になってしまうのだろう。




しかし、そんな考えを目にして、ふと頭に浮かんだ言葉…



人間は考える葦である





何故か、社会で習った覚えのあるパスカルの名言。


AIを使ったら読書感想文でも絵でも簡単に書け、もしかしたら賞をとれるかもしれない。

でも、それで喜べるだろうか?


しかも、考える機会を減らしてしまう事になるけれど果たしてそれで良いのか?




文章構成がめちゃくちゃだろうが、感想が的外れだろうが、一生懸命考えて仕上がった読書感想文には、それだけで価値があるものではないかと私は思ってしまう。


だから、息子くんにはできる限り紙と鉛筆を使って学習してもらいたいし、AIや読書感想文アプリに頼らず自分で考えながら取り組んでもらいたいのだ。


そうやって、息子くんには考える葦になってもらいたい。

そして、挑戦したいという気持ちを大切にしたまま、大人になってもらいたいと思っている。