放射線治療がスタートした。

私は毎日朝一に予約を取り放射線を浴びてから出勤する。25回というゴールはとてつもなく遠く感じた。自転車で15分の道のり、この病院を選んだのは偶然ではなく必然なのかなと今では思う。というのも、セカンドオピニオンで他の病院を紹介されていたにも関わらず、自分でこの病院を選んだ。その理由は近くて大きい、それだけだ。どうせ通うなら近い方がいいし…ここでその勘が当たったことを知る。しかし、5分の為に往復30分、雨の日も風の日もずっと通い続けることに気分が萎えていた。

そんな時、放射線科の看護師Oさんと出逢う。前述したように私はこの人ととても仲良くなることとなる。この方は私より少し年上ぐらいで、失礼だが決してずば抜けて何か引き寄せる美しさがあるわけでもなく、その真逆で地味でごく普通の年相応の看護師さんだった。最初に声をかけてくれた時はごくたわいもない会話だった。看護師と患者の会話だ。毎朝の顔触れは同じで、私よりはるかに年上の年配の方が多く、自分たちの病気について話している。私には決して話しかけてこないし、まるで腫れ物に触るような見て見ぬふりをするような人が多かった。そんな空気を感じるものの、その頃は自分軸がしっかりと出来上がっていた為、こんなもんかぁと何も感じなかった。そんな中Oさんは毎日話しかけてくれた。
仕事してるの?私もよくそこ行くよ!家事も育児も大変やね。若いのに大変やけどちゃんと最後までやろうね。長いけどね…でも絶対頑張ったら最後が来るから!
私は基本的に自分から話しかけていく方なのだが、放射線室の雰囲気はそれが御法度のように感じていた。しかしOさんの存在によってそれはどんどん覆された。どんどん心を開き毎日話すことが楽しみになっていた。それに加え、放射線の療法士さんも会話に入ってきて、毎日ワイワイ話しながら治療を受けることが出来た。私はOさんをはじめ、放射線室の人たちがいたから頑張れたのだと思う。

術後1年後の全身の検査で造影剤を入れてCTを撮る検査があった。日々の仕事が壮絶に忙しかったのでかなり記憶が薄れていた。遥か遠くに見たことがある人がいる。遠くから見つめていた。
「○○さん!!」
向こうから声をかけてくれた。放射線科の看護師Oさんだった。元気そうやね!もうそんなに経ったんやね!Oさんは多くの患者と接する中で、私のことをしっかりと覚えていてくれた。もうすっかり元気なことを伝え、Oさんがいてくれたことで頑張れたことを伝えた。少し照れながら笑っていた。