そこからの私は常に絶望感に襲われていた。

私は異常なほど神経質になった。少し咳が出れば肺転移を心配し、鎖骨の出っ張りが左右対象でなければ腫瘍じゃないかと不安になり、健房にしこりがないか赤くなるまで寝たり起きたりして確認していた。その度にネットを調べ、1人目に見えない恐怖と闘っていた。情緒も不安定になり、自然と涙が出てきたり、イライラしたりしたが、家族には一切見せなかった。とりあえず死ぬのが怖かった。抗がん剤だけでなく、肺炎などの合併症を併発することも、この時は異常な程気にしていたと思う。

ここからは私の個人的な意見であくまで主観だが、人の命というのはある程度は決まっているのだと思う。どんなに健康的な生活をしていても若くして亡くなってしまう人もいれば、不規則な生活で長生きする人もいる。ただ、その間に自分のやりたいことをどれだ出来るか、たくさんの素敵な経験を積めるのか、私たちは箱に入っていてその様子をもっと大きな誰かが楽しんでいるのではないかと思う時がある。しかし、そこを覆すことによって奇跡がうまれ、思いもよらないことが起こるから、人生が面白いものだとも思う。しかしながら、やはり死ぬのは怖いし悲しい。

毎朝目がさめる時に安心感があった。今日もちゃんと朝が来た。生きてる。そのように自分の存在を確認し執着していた。そして寝る前には、このまま目を閉じてしまったらずっと開かないかもしれない、寝るのが惜しく怖くなり、寝不足の日が続いた。

後半になって精神状態は追い込まれていた。