たぶん保育園へ通っていたか小学校へ入りたてくらいの頃だと思う。
お向かいに私より二歳ほど年下の女の子が住んでいた。
その子に
「あそんで~」
と追いかけられるのが大嫌いだった。
末っ子で
自分のペースでばかり動く子だった私。
年下の子に合わせて遊ぶのがきらいだったのだ。
たぶんその子がわがままだったからだとも思うけど、
それは小さい子なりのわがままで
変な言い方だけど許容範囲だったと思う。
それでも
全速力で逃げる私を
その子はよく泣きながら追いかけてきた。
その子の泣き顔を今でもくっきりおぼえている。
その時の罪悪感も。
それを
今子育てしながらしょっちゅう思い出すのだ。
泣きながら子どもが
「だっこ~」
と追いかけてくる。
疲れていたり
やらねばならないことが目の前にあふれていると
逃げたくなる。
子どもを抱き上げながら
もう何度となく思い出している
あの苦い記憶を手のひらのうえに出してまた眺める。
降り積もってきた自分の罪と
(大げさかもしれないけど)
逃げてきた記憶
避けてきた苦手なことを
こうして突きつけてくるのが子育てだから
そういうものが多ければ多い人ほど
子育てに押しつぶされておかしくなってしまうことが
あるのかも知れないなーと思う。
そういうことを「弱い」と言う人もいるだろう。
私も子どもの頃
何度も親から「弱い」と言われた。
「もっと強くならないとやっていけないよ」
「もっと気にしないようにしなさい」
「叱られてもしょげないで歌でも歌ってなさい」
無茶だって。
そうは言われてもやっぱり言われただけでは
性格は変わらない。
今でも弱い。
ただいやなこととぶつかったとき
「これは修行だ。これを越えると私は少し大きくなれる」
とは思うようにはなった。
だから神経質な息子に
「もっとおおらかになりなさい」
とは言わないと決めている。
けど似たようなことは言ってしまうんだよなー。
息子も自分で
「こんなに神経質ではやっていけない」
と気づけば変わるのかもしれない。
以前
テレビで阿川佐和子が
「私は昔、すごく几帳面だった。
でもあるときふと
このままでは生きていけないな、と気づいて
ぜんぜんかまわない性格になった」
と言っていたし。
毎日が闘いだ。
でも目の前の子どもとの闘いというよりは
常に自分と
そして自分のかかえる記憶との闘い。
これが毎日毎日。
このむこうに何があるんだろう。