「スペイン風邪の誤った神話を打破する」

 healthfreedomdefense.org 2024/06/20

 

 

 

 

 

概要

 

 

「スペイン風邪」を調べると、大体 以下のような話が出てきます。

 

 

「1918年から 1919年にかけてのスペイン風邪の大流行は、

 世界史上最悪のパンデミックとなり、

 世界中で約 5億人(人口の約 3分の1)が感染し、

 最大 5千万人が死亡、米国だけでも約 65万人が死亡した。

 インフルエンザウイルスの新しい変異体によって引き起こされた この病気は、

 第一次世界大戦中の軍隊の移動によって部分的に広まった。

 ワクチンや有効な治療法がないまま、

 パンデミックは大規模な社会的混乱を引き起こした。

 学校、劇場、教会、企業は閉鎖を余儀なくされ、

 市民はマスクの着用を命じられ、

 間に合わせの遺体安置所に遺体が積み上げられた。

 1920年初頭にウイルスの致命的な蔓延は終わった。

 

 

 

 

何らかの恐ろしいウイルスが

壊滅的な被害を巻き起こしたかのような話ですが、

これは正しいのでしょうかはてなマーク

 

 

 

 

化学戦 / ガス戦

 

 

レブンワース文書

第一次世界大戦における化学戦争:1917~1918年のアメリカの経験」によると…

 

 

第一次世界大戦において、ヨーロッパの戦争地域で、

化学戦とガス戦が行われたそうです。

最も有害で致命的な影響を及ぼしたのは マスタードガス で、

120万5,655人の非致命的な負傷と

9万1,198人の死亡を引き起こしたと言われています。

ガスというと気体のようですが液体で、ゆっくり蒸発していきました。

 

 

ガスにさらされた人たちは不快感がなかったものの、

数時間後には窒息感、ひどい灼熱感、粘膜の水疱を経験しました。

マスタードガスはあらゆる種類の「防護」衣服を貫通し、

土壌、葉、草などの環境中に、長期間にわたって驚くほど残留したそうです。

 

 

1917年7月までに、両陣営は、

ホスゲン、ジホスゲン、ジフェニルクロロシン(ヒ素粉を混ぜた塩素粉)

3種類の混合物を使用していたのですが、

実地試験では、ヒ素粉は原始的なマスクのフィルターを貫通したため、

非常に効果的であったといいます。

 

 

しかし、ドイツ軍に化学戦で明らかな優位性を与えたのは、

マスタードガスでした。

マスタードガスは爆発物と組み合わせると、

広範囲に拡散し、長時間空中に留まったのです。

 

 

 

 

奇妙な青いインフルエンザ (Blue Flu)

 

 

スペイン風邪では、

よく皮膚の色が奇妙な青みがかった灰色へと変色していました。

また、もう一つの臨床的特徴は、

肺に水がたまり窒息し、

症状が現れてから数時間または数日以内に、

患者が死亡する可能性があることでした。

 

 

化学攻撃 の目撃証言によると、フランス兵は、

「目が見えなくなり、咳き込み、胸を激しく動かし、

 顔は醜い紫色になり、苦痛で言葉も出ないまま、

 よろめきながら戦場から去っていった」といいます。

 

 

英国軍兵士による別の報告書では、

毒ガス攻撃 の生存者について、次のように記述しています。

「顔色は青みがかった灰色で、目玉は見開いており、

 まぶたは半分閉じており、非常に不安で苦しそうな表情をしていた。

 呼吸は極めて困難で騒々しく、

 溺れそうになる大量の粘り気のある

 黄緑色の泡状の液体を吐き出そうと頻繁に努力していた。

 その液体を通して、ゴボゴボという音を立てながら、

 肺に空気を吸ったり吐いたりしていた。」

 

 

 

 

若くて強い人を殺し、老人を救った珍しいインフルエンザ

 

 

スペイン風邪は、若年成人の死亡リスクが異常に高く、

これはインフルエンザの流行以前も それ以降も

見られなかった特徴だと言われていますが、

最も深刻な影響を受けた若い男性は、

概して第一次世界大戦の戦闘に参加した人々でした

 

 

高齢者については、

以前のインフルエンザ流行にさらされて

免疫を獲得した可能性があるとか、

19世紀に当時流行していた H1または N1表面タンパク質を含む

A型インフルエンザウイルスにさらされたことに起因する可能性がある

などと言われました。

 

 

そして、2008年、国立衛生研究所(NIH)の研究者たちは、

1918年から 1919年にかけて、

いわゆる「スペイン風邪」で死亡した人々の検死結果の 92%で、

細菌性肺炎 が死因であった結論付けました

こうした推測や研究、憶測が氾濫する中で無視されてきたのは、

この謎のインフルエンザに最も深刻な影響を受けている集団が

日々直面している、

大量の毒素、ストレス要因、そして絶え間ない生物学的攻撃という

具体的な現実でした。

 

 

 

 

米軍のワクチン接種キャンペーン

 

 

1918年1月21日から 6月4日の間に、

フレデリック L. ゲイツ博士は、

米カンザス州フォート・ライリーにある

キャンプ・ファンストンの兵士に

細菌性髄膜炎ワクチンを 3回投与した実験について報告しましたが、

「公式」筋によると、フォート・ライリーは、

後にスペイン風邪と呼ばれることになる

1918年の歴史的な「インフルエンザの大流行」の発生地として、

最も可能性が高い場所であると考えられています

 

 

兵士たちに投与された実験用ワクチンは、

馬から採取したワクチン血清によるものでした。

使用されたワクチンは、

ロックフェラー研究所の研究室で作られたものです。

 

 

その後すぐに、ワクチンは部門外科医によって、

キャンプ全体に提供される予定となりました。

 

 

3月4日の朝、アメリカ陸軍のアルバート・ギッチェル二等兵が、

「喉の痛み、発熱、頭痛という風邪のような症状を訴えて」

カンザス州フォート・ライリーの病院に入院しました。

そのすぐ後には、リー・W・ドレイク伍長も、同じような症状を呈しました。

 

 

正午までに、収容所の外科医エドワード・R・シュライナー医師は、

100人以上の病人を診ましたが、

全員が明らかに同じ病気にかかっていました。

 

 

ゲイツ博士の報告書には、

注射を受けた兵士たちが直後に患った病気が記録されています。

 

 

「個々のケースを注意深く調査すると、

 ワクチン接種の影響を訴える男性は、

 接種時に軽い鼻風邪や気管支炎などを患っていたという情報が

 得られることが多かった」

 

 

「時には、悪寒や寒気によって反応が始まり、

 翌晩に発熱や熱っぽい感じを訴える男性もいた。

 次に多いのは、吐き気(時には嘔吐)、めまい、

 関節や筋肉の一般的な痛みで、

 いくつかの例では、特に首や腰の領域に局在し、

 首や背中のこわばりを引き起こした。

 注射を数回受けた後、下痢が起こった例もある」

 

 

「そのため、反応は時折、流行性髄膜炎の発症を模倣し、

 ワクチン接種を受けた数人の男性が、

 疑いとして診断のために基地病院に送られた」

 

 

ロックフェラー研究所は、

彼らが「治療用血清」と呼ぶ 3種類の血清

(抗髄膜炎菌血清、抗肺炎球菌I型血清、抗赤痢血清(多価)を

大量生産したと勝ち誇ったように発表しました。

 

 

ロックフェラー研究所が指摘しているように、

これらの実験的な注射の使用は、米国に限ったことではなく、

同研究所は、米国が戦争に参戦する前に、

「英国、フランス、ベルギー、イタリア、

 その他の国々からの要請に応えるため、

 抗髄膜炎菌血清の調製を再開した」

と自慢していました。