WHOやパンデミック条約への抗議が、

世界各地で盛り上がっています。

 

 

しかし、日本の状況は、世界とは異なっていて、

コロナワクチンを7回も打つなどの愚行は、

WHOが勧めているわけではありません

日本独自の判断・ヒステリックな狂気です。

もしも、日本がWHOに従っていたなら、

他の国のように、3回ぐらいで終わっていたかもしれません。

 

 

 

ただ、ワクチンに関して政府が無知なのは、

どこの国も、今回に限らず一緒です。

 

 

 

 

「ワクチン学に無知な6人の米国大統領が、

 大手製薬会社の迅速な実験ワクチンを推進した」 2024/05/18

 

 

1976年の秋、ジェラルド・フォード政権が推進した

新型インフルエンザワクチンは、

接種後 48時間以内に、数十人のアメリカ人が死亡した

 

大量接種プログラムの解明を脅かす国民の不安を和らげるために、

ジェラルド・フォード大統領はシャツの袖をまくり上げ、

テレビカメラの前で注射を受けた。

 

この後、4000万人以上が、大統領の指示に従った。

しかし 2カ月後、キャンペーンは突然中止された。

死者が増え、ギランバレー症候群に伴う麻痺など、

深刻な副作用を訴える被害者が数千人増えたためだ。

 

今日、バラク・オバマ、ジョージ・W・ブッシュ、ビル・クリントン、

そして「ワープ・スピード作戦」のドナルド・トランプ元大統領は、

自然な抵抗感を和らげるために、

全国テレビでコロナウイルスワクチンの一部

または全部を接種することを、「勇気を持って」申し出ている。

 

ワクチン学を一様に読み書きできない元大統領たちが、

自分たちの親族や子ども、孫たちにも

潜在的に危険なワクチンの接種を強制するという命令に、

喜んで従ったかどうかについては言及されていない。

 

40年前の 1976年3月24日、ジェラルド・フォード大統領は、

ホワイトハウス記者会見室で、

迅速な豚インフルエンザ予防接種プログラムを発表した。

 

豚インフルエンザワクチンを

(上腕三頭筋に直接!!)接種されるフォード大統領

 

注射器を持っていたのは、

ワクチン学をまったく知らないであろう

ホワイトハウス内科医ウィリアム・ルカシュ博士で、

おそらく、職業生活全体を通して、

実際にワクチンを接種したことは なかったはずだ。

 

ワクチンに関するルール 1を忘れないでほしい。

ワクチン学に知識のない医療従事者に、

あなたの筋肉への注射を決して許可しないでほしい。

 

 

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「歴史は繰り返す」ですね。

どこの大統領だろうと王族だろうと、「全員ワクチン学の素人」です。

無論、日本の首相も そうです。

厚生労働省の ごく一部には、心得のある人がいるのかもしれませんが、

ほとんど すべての政治家は、ワクチンについては素人です。

 

 

 

なのに、彼らの言うことは正しいと思ってしまうんですね。

「国(政府)が、国民に悪いことをするはずがない。

 一般人よりも、知が結集しているはずだ。

 そのうえで判断しているに違いない」

本当は、そうでないといけないと思うのですが…。

 

 

 

『ある異常体験者の偏見』(1974年) 山本七平著

 

…そして、それが世の常識となる。

すると もうどうにもならない。

動かすことも、ゆるがすこともできなくなる。

 

すると人びとは

その不動の常識に よりかかっていた方が楽だから、

そこで思考を停止し、

他に規定された判断を そのまま自分の判断とし、

そして その常識なるものに反対するものは

自分の方から排除してしまう。

ひどい時には村八分にしてしまう。

 

従って 事実を知っている者は みな沈黙する。

 

いったんそうなると、もういいも悪いもない。

その常識という虚構の上に 順次に虚構が積み重ねられていき、

しまいには どんな誇大妄想狂も口にしないようなことを言っても、

人びとは何の抵抗もなく受け入れてしまう。

 

 

 

 

 

 

『私の中の日本軍』(1975年) 山本七平著

 

いつもながら 同じことが くりかえされる…

専門家のデータは無視され、

何やら わけのわからぬ全く無根拠の一方的強弁に

すべての人が唱和していくという…。

なぜ そうなるのであろう。不思議である。

 

 

 

 

 

 

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正気を失った人には、理論は通じない。

いかに整合性のとれない話であろうと、

いったん それが正しいと決めたら、

もう考えることなしに絶対となるということでしょうか。

 

 

 

『戦争責任者の問題』(1946年8月) 伊丹万作著

 

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、

一切の責任から解放された気でいる多くの人々の

安易きわまる態度を見るとき、

私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、

おそらく今後も何度でも だまされるだろう。

いや、現在でも すでに

別のうそによって だまされ始めているに ちがいないのである。

一度だまされたら、

二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ

人間が進歩するわけはない。

 

 

 

 

 

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俯瞰的に見て、この狂気の有様が、

止めようもない悲惨さを持っているのは事実ですが、

個人的には、

「わたしは絶対に騙されない」などとは思っていないので、

その人間の愚かさに唾を吐くような真似はできません。

 

 

 

ただ、これが世界的な現象かというと、

やはり日本に際立った現象であるように思います。

「有事には、事実に基づいた分析よりも、人々の協力(団結)が必要だ」

という思想に陥りやすいのでしょうか。

 

※世界に存在しないとは言っていません。

 海外でも、誤った言説に しがみついている人たちはいます。