https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0013935122013068

 

最近の医学誌に、イタリアの専門家たちの研究で、

イタリアで最初にCovid-19の流行が始まったのは、

2019年9月初旬とする論文が掲載されていました 。

地域によって 多少のズレはありますが、

日本では福島淳也医師

(筑波大学卒・消化器内科医)らによる基礎研究で、

「2019年8月には既に

 Covid-19が蔓延していた可能性が高い」

と言われていましたね。

 

生物の遺伝子解析の専門企業である「日本バイオデータ」の

2020年2月の遺伝子解析では、

最初の感染は、2019年12月9日

ということになっていますが。

その頃はまだ、

観光客はたくさん来るわ、無防備だわで、

もし罹るというなら、とっくの昔に罹りまくって、

風邪かインフルエンザだろうと思いながら、

やりすごしていたはずです。

 

それはさておき。

メリル・ナス博士「Sars-Cov-2は存在する」 でも

ちょっと触れましたが、

ワクチンや感染対策に反対する人の中でも、

Sars-Cov-2は存在すると言う人と

Sars-Cov-2は存在しないと言う人がいるんですね。

そして、これに関して

Alliance for Natural Health

(自然な健康のための同盟/ANH)のウェブサイトで、

この論争に関する見解を述べている論文がありました。

これは非常に興味深いものです。

著者は、ウイルスは存在する派です。 

 

ANH Feature: Does the virus exist? A critical need for resolution | Alliance For Natural Health (anhinternational.org)

「ウイルスは存在するのだろうかはてなマーク 解決の重大な必要性」

(抜粋)

議論のうちの

「ウイルスは存在しない」側の現在の主役の中には、

ウイルス学者のステファン・ランカ博士(ドイツ)

医学的訓練を受けた 4人の医師、

トム・コーワン博士(米国)

サム・ベイリー博士(ニュージーランド)

夫のマーク・ベイリー博士

そしてアンドリュー・カウフマン博士(米国)などがいる。

 

健康と運動の科学者であるマイク・ストーン博士(米国)は、

主要な議論のほとんどを

1つの Web サイト viroLIEgy.com に統合する

包括的な仕事を行った。

 

これらの 6人は、

ファイザー社のアレルギーおよび呼吸器部門の

最高科学責任者であった

元副社長のマイケル・イェードン博士を含む、

ウイルス論争に決着をつける」という文書の署名者たちだ。

これは、2022年7月に、

トム・コーワン博士らによって提唱された。

 

なお、「ウイルスは存在する」という方には…

ほとんど他の人たちが こちら側にいるが、

「健康の自由運動」に関わる人物で、

「ウイルスは存在しない」という主旨に

反対の意見を表明している人物には、

スティーブ・カーシュ氏ジェレミー・ハモンド氏

含まれる。

 

また、「ウイルスは存在しない」という

コーワン博士らの立場に反論し続けている主要な医師には、

ボブ・マローン氏、ピーター・マッカロー氏、ライアン・コール氏の各博士が含まれる。

 

彼らは、SARS-CoV-2を含むウイルスは実際に存在し、

それが感染して複製するには 適切な宿主細胞が必要であり、

特定の条件下で特定の人々に

病気を引き起こす可能性があるという、

多くの人が共有する見解を支持している。

 

私はウイルス学者ではないが、

3つの科学の学位 (BSc、MSc、PhD) を持っている。

 

【本題】

以下が、ウイルス否定派の2つの基本的な主張だ。

1. 感染した患者から採取された

     SARS-CoV-2 ウイルスの全ゲノムは、

     約 30,000 塩基対と豊富であり、

     分離も配列決定もされていないため、

     存在を証明することはできない。

 

2. このいわゆる「ウイルス」は、

     1884年にドイツの医師ロバート・コッホと

     微生物学者フリードリッヒ・レフラーによって

     最初に提案された方法論である

     コッホの仮説を満たしていないため、

     Covid-19疾患を引き起こすことは示されていない。

 

【ウイルスは分離されたのか】

分離を主張する研究論文を見つけるのは、難しくない。

たとえば、2020年1月に、

最初の米国の Covid-19患者から

SARS-CoV-2 を分離したと主張し、

その後、一般的に使用されている

ヒトおよび霊長類の細胞株に再感染したと主張する

ハーコート博士らの論文を見てみたい。

ハーコート博士らは、

最初の米国人患者からの鼻咽頭サンプルを登録し、

口腔咽頭サンプルを登録しているため、

配列決定全体を行ったようだ。

Genbank を調べることで、

全ゲノムを構成する約 29,900塩基すべてを

確認することができる。

多くの国が、

完全な SARS-CoV-2 ゲノムを分離したと主張している。

たとえば、

イタリアの主張はこちら

韓国の主張はこちらトルコの主張はこちらだ。

また、さまざまな人から採取した分離株を

互いに比較したことが、

上海公衆衛生臨床センターと

上海復旦大学公衆衛生学部により説明されている。

 

その他の潜在的なウイルスまたは病原体の検査、

ならびに完全なシーケンスは、

2020年にネイチャーで、

ファン・ウー氏らによって発表された。

 

ウイルス否定論者の方々は、

この参照ゲノムは、

大部分がコンピュータで生成されたものだと主張している。

それは部分的には正しい主張だが、

ゲノム配列がコンピュータに保存されているから

ゲノム配列が無効であることを意味するわけではない。

コンピュータは、

人間が配列の意味を理解するのを助けるために使用される。

コンピュータは、

ハイスループット・シーケンス・システムの不可欠な部分だ。

これはゲノム科学と分子生物学の

急速に発展している部分であり、

腸や土壌の微生物から 私たち人間のような生命体まで、

さまざまな生命体の遺伝的構成、相互作用、進化を

よりよく理解するのに役立つ。

 

米国、イタリア、韓国、トルコなどからの分離と、

全ゲノム配列決定の主流の科学者たちによる主張は、

おそらくウイルス否定論者の方々を満足させるものではない。

彼らは、これらは真の精製と分離の例ではないと言い、

他の生物からの他の配列が培養物を汚染したり、

配列が化学的介入物によって損傷を受けて

結果を曖昧にしたりするという彼らの懸念を反映している。

 

【コッホの原則は必須なのか】

多くの人は、

ウイルスが病気を引き起こすことを証明するには、

コッホの 4つの原則が満たされなければならない

という懸念を抱いている。

コッホの原則は、簡単に言えば、以下のようなものだ。

1) 微生物は、

    健康ではない病気の個人に発見されなければならない。
2) 病気の個体から培養されたものでなければならない。
3) 培養された微生物が健康な人にさらされると、

    同じ病気を再現する必要がある。
4) 病気の個体から再分離され、

    それが元の微生物と照合できなければならない。

 

科学や医学をざっと理解しただけでも、

この仮定が必ずしも満たされていないことがわかる。

たとえば、腺熱に関連する

エプスタイン・バーウイルスや口唇ヘルペス

(※どちらもヒトヘルペスウイルス)に関連する

単純ヘルペスなどの多くのウイルスは、

病気の症状を示さない

健康な個人に存在する可能性があることがわかっている。

そのような人は「無症候性」と見なされる。

この時点で、「無症候性疾患」という概念は

矛盾していると思われる。

感染して無症状の場合もあるが、

無症状なら病気とは見なされないのがコッホの原則だ。

 

特定の条件下では、既知のヒトに感染するウイルスが、

高度に特異的な受容体を介してヒトに侵入する。

それらがすでに体内にある場合

(ヘルペスウイルスや口唇ヘルペスのように)、

潜伏状態から再活性化する可能性があり、

その後、複製が過剰になり、細胞変性効果を誘発し、

身体システムの多くに害を及ぼす可能性がある。

多くの場合、何十年にもわたる調査と

パターン認識に基づくものだが、

これは原則3と原則4を満たすことができない。

 

興味深いことに、1890年にベルリンで開催された

第 10回国際医学会議でのコッホ自身の演説で、

彼は、私たちが現在ウイルスと呼んでいる

生きていない微生物の存在を知る前でさえ、

病気の因果関係を有効に証明するには、

最初の 2つの原則のみを満たす必要があると述べている。

 

実際は、ウイルスが存在するかどうかについて

議論するのに時間をかけすぎるよりも、

医学界や科学界、WHO、CDC などとの間で、

この科学的小競り合いを整理することが、

はるかに重要であることを強く述べたい。 

(以下略)

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と、この人はウイルスが存在する派として、

科学的な見解を述べていらっしゃるのですが、

重要なのは、

ウイルスが存在する派もしない派も、

どちらも最高クラスの専門家たちであり、

その主張は理論的であるということ。

ウイルスが存在しようがしまいが、

ワクチンもマスクもロックダウンも

行動制限も過剰な消毒も、

それらは全て無意味どころか有害であること。

その点で団結していかなければいけないというのが、

最重要ポイントなのです。

 

ただ、ウイルスが存在するかどうかは、

Covid-19問題において

根幹をなす最重要ポイントであり、

無意味な接種も感染対策もやめようと

説得する場合であっても、

重要な部分だったりするのですね。

どちら側も、

これまで調べ、考え、闘ってきたわけですから、

根本から否定されたくないというプライドがあります。

プライドの問題ではないかもしれませんが、

真っ向から相手を否定したりバカにする態度は

控えた方が良いと思います。

 

わたし自身は、どちらも保留しながら追いかけていますが、

仮に存在するとして、

自然発生だとは思っていませんから、

となると、こんなに弱毒性のものを作る必要があったのか、

演出だけで、ワクチンに導くには十分だったのではないか。

仕掛けた層は、被害を受けたくないわけだから、

恐ろしいものであるはずがない、という考えです。

あったとして、弱毒であるけれども、

感染力を強めたもの…という程度でしょうか。

「罹った罹った」と

大騒ぎするのも恥ずかしいものだと思っています。

病名を付けるまでもないと言いますか。

だから、おおっぴらに

「コロナに罹った」と言ってほしくないのです。

それではまるで、煽っている側と同じようなものですから。

感染力の高い新種(未知)のウイルスが…と。

漠然とした不安を巻き起こすでしょうはてなマーク

(伝播はまた別)。

 

そして、作った場合、

それは感染させるために作ったのではなく、

ワクチンを作るための雛形(設計)として、

考え出されたものではないのか、と。

いわゆる感染なんてものは要らないのですから。

本丸はワクチンなので。